アメリカにおける日系人の強制収容

日本ではこの時期になると8月15日の第2次世界大戦、もしくは太平洋戦争の終戦記念日を控え、特に日本本土での空襲、広島、長崎での原爆、沖縄での戦闘、さらにはアジアでの侵略戦争、戦後シベリアや中国の抑留の歴史と記憶から戦争の悲惨さ、儚さが、思い出されるとともに二度と繰り返してはならないという思いを改めて強くする季節であると思います。

しかし、ここアメリカで暮らしていると日本にいるとあまり気づかない、もしくはあまり知られていないもう一つの悲劇の歴史が思い起こされる季節でもあります。それは10万以上にのぼる日系移民、もしくは日系アメリカ人の強制収容という、自由と平等を謳うアメリカにとって暗く恥ずかしい歴史であります。

1931年の満州事変のころより、日本が中国を始め東南アジアへの侵略を進めるにつれ日米関係は悪化の一途をたどり、それに伴い日系移民またはその家族、子孫に対する偏見も日に日に悪くなっていくわけですが、それも1941年の真珠湾攻撃を機にした日米開戦を持って、決定的に悪化します。実際にはむしろアメリカ市民としてアメリカという国に対して忠誠を誓っていた善良な市民であったにもかかわらず、日本軍のために働くスパイであるかもしれないというだけで敵性市民とラベルを貼り付けられた日系人たちはそれまで持っていた仕事、住む場所を含めた全財産を没収されて、強制収容所に送り込まれることになるのです。

着の身着のままで収容される日系アメリカ人 (By Clem Albers, Photographer - U.S. National Archives and Records Administration)

今日、そういった人たちの困難な歴史を風化させることなく、二度とこのようなことがアメリカでどの人種に対しても起こることがないようにと活動されているDenshoというプロジェクトがあります。そちらがボランティアの人たちと当時のアメリカの政府や軍が残した記録、または個人が持っていた記録などを紙より起こし、デジタルにしたデータがだれにでもアクセスすることができる形でこちらのウェブサイトより公開されています。こちらのデータには、10万人に上る人たちの名前、住所、職業、年、出身地、家族構成、送り込まれた収容所の名前等に関する情報が入っています。

今日はこのデータをもとに当時の日系移民もしくはその家族とはどういった方たちだったのか、その方たちが送り込まれることになる強制収容所とはいったいどんなところだったのか、さらにどのようにそうした日系人がそれぞれの収容所に送り込まれるようになったのかという質問にこたえてみたいと思います。

日系人とはどういう人達だったのか?

日系移民はもともとどこから来たのか?

まずは、当時の日系移民とはどのような人たちだったのでしょうか。最初の質問として、彼らはもともとどこから来たのでしょうか?データの中でbirth_placeという情報があるのでそちらを可視化してみました。

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アメリカ生まれか日本生まれかということで色を分けています。

圧倒的にトップのカリフォルニアを筆頭に、本州の南部、ワシントン州、九州と並びますが、どうやらアメリカの州で生まれた人たちと日本で生まれた人たちが混ざっているようです。

これを見ると日系人と言っても日本から来た日系移民(1世)とアメリカで生まれた日系アメリカ人(2世)の2つのタイプがあるのがわかります。ただ、圧倒的に、カリフォルニアで生まれた人達が多いというのがわかるかと思います。彼らはいわゆる2世と言われる日系アメリカ人です。

ところで日本で生まれた方たちだけに絞ってみてみると、以下のようになります。

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殆どの人達は、本州南部、九州、さらに本州中部から来ていたのがわかります。逆に当時の都市部であった東京、大坂、京都からは比較的少ないというのがわかります。

次にアメリカで生まれた人たちだけに絞ってみると以下のようになります。

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圧倒的に多いカリフォルニア、その次にワシントン、ハワイ、オレゴンと続きます。

それでは、彼らはどこに住んでいたのでしょうか?

日系人はアメリカのどこに住んでいたのか?

まずはアメリカの州ごとに見てみましょう。

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こちらも、カリフォルニア州が圧倒的に多いのがわかります。先ほどと同じように、アメリカ(US)か日本のどちらで生まれた人たちなのかを色で分けてみると以下のようになります。

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一見したところ、半分以上はアメリカで生まれた日系アメリカ人であることがわかります。

さらに、アメリカの州の下に市(City)という単位がありますが、その市毎に見てみましょう。こちらは全部で、217ありますので一番多い方から30都市だけに絞ってみたのが次のチャートです。

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こうしてみると、ロサンゼルス市が圧倒的に多いのがわかります。さらに、シアトル、サクラメント、サンフランシスコなどがつづきます。

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日系移民か日系アメリカ人の構成というのは住んでいた場所によって異なるのでしょうか。

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州ごとに見たのと同じトレンドがこちらでも見て取れます。つまりどの町でもマジョリティはアメリカで生まれた日系アメリカ人だということです。それぞれの町における日本生まれと、アメリカ生まれの比率がわかりやすいように、それぞれの棒を100%にしてみると以下のようになります。

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ここから、どの町でもアメリカで生まれた日系アメリカ人がだいたい60%から70%だったということがわかります。

アメリカに住んでいないとこういった町がどこにあるのか掴みづらいと思いますので、これらの市の場所を地図の上で表示すると以下のようになります。ひとつひとつの丸のサイズの大きさと色は人口を表しています。

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こちらを見ると比較的アメリカでも広い範囲、多くの場所に日系人の方たちが住んでいたのがわかります。

以下のように、ズームしてみるとカリフォルニアの中でも海岸沿い、特にSan FranciscoとLos Angelesに人口が集積していたことがわかります。

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日系移民は日本のどこから来たのか?

それでは、こうした日系移民の方たちが、もともと日本のどこから来たのかを以下に可視化してみました。

やはりどの地域にも共通して言えるのは西海岸への移住が圧倒的に多く、東海岸への移住というのはそんなに多くないのがわかります。

特に、出身地によってどこに移り住んでいくのかという特徴がここからはつかめませんが、ここで州ごとにどちらの出身が多いのかを可視化してみると以下のようになります。

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さらにそれぞれの州ごとの比率を表すと以下のようになります。

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カリフォルニア、ワシントン、ハワイ、アリゾナと言った州は似たようなトレンドを示しているのに対し、他の週では異なったトレンドが見て取れます。たとえば、フロリダは本州南部がいなく、かわりに、北部、中部が半分ずつ占めています。

移民、その中でも1世の方たちがどこから来たのかということがつかめてきましたが、ここで日系人の方たちはどういった人たちであったのかをもう少し違う角度から浮かび上がらせてみたいと思います。

その他の当時の日系人の特徴

まずは、当時彼らはいくつくらいだったのでしょうか? 年齢を横軸にアサインして縦軸にはそれぞれの年齢の人達の数として可視化すると以下のようになります。

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24歳が最も多く全体のピークとなっていることがわかります。

性別ごとに(M:男性、F:女性)、出生地によって年齢の分布に違いがあるか色を分けてみると以下のようになります。

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男性も女性も55歳くらいまではだいたい同じような年齢の分布となっているのがわかります。55歳を超えたところで男性の方だけは人数が増えています。

さらにここで、ひとつ気になるのは、男性にも女性にも共通していることですが、30歳から40歳の人口がその前後に比べてかなり下がっているということです。

出生地によって年齢の分布に違いがあるか色を分けてみると以下のようになります。

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こうすると、日本で生まれた人たちがアメリカに移民してくるというのはだいたい当時40歳ぐらい以上の人に限られていたようです。それ以降は殆どいなくなっているのがわかります。

かわりに、オレンジ色で表されているアメリカ生まれ、つまりは2世である日系アメリカ人という方たちは25歳前後がピークになっているのがわかります。これは1世の女性のピークである50歳前後の方たちの子供の世代ということでしょう。3歳から4歳のあたりにまた人口が増えていってるようですがこちらは当時25歳前後の方たちの子供ということでしょうか。

次に、彼らは連行される直前までどういった仕事をしていたのでしょうか?

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圧倒的に農業の仕事に携わっていた人が多いのがわかります。それぞれの仕事の全体に対する比率を以下に出してみました。

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農業関連の仕事をしていた方がほぼ70%ほど、さらに次に管理職(農業関連以外)が13%ほど占めるのがわかります。

ここまでのまとめ

今までの見てきたところ、日系移民は主に日本の本州の南部と中部、そして九州の方から移り、さらにその多くがアメリカの西海岸、その中でも特に、ロサンゼルスに移り住む人が多いということがわかりました。

さらにその移民の流れはどうやら当時の40歳の人たちがアメリカに渡ってきたのを最後にその後は殆どピタリと言っていいほどに止まっているのもわかりました。

最後に、そうやって移り住んできた人の殆どが農業を営んでいたようですが、一部は管理職としてオフィスで働いている人達もいたのだということもわかりました。

強制収容所に送られた人たちがどういった人たちであったかがこちらのデータから少し浮かび上がってきたのではないかと思います。

それでは次に強制収容所そのものがどんなものであったのかを見てみましょう。

日系移民強制収容所

Poston強制収容所, Arizona, Jun. 1, 1942. Courtesy of the National Archives and Records Administration, Ctrl. #: NWDNS-210-G-A190, NARA ARC #: 536152, WRA, Photographer Fred Clark

このデータには、それぞれの人がどのキャンプに送られたのかという情報があるので、それをもとにそれぞれのキャンプ毎にどれだけの人たちが送り込まれたのかを見てみましょう。

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一番多いのがPoston収容所、さらにTule Lake, Gila River, Heart Mountainと続きます。 さてこういった収容所はアメリカのどのへんにあったのでしょうか。

こちらに収容所を地図の上に表してみました。マルの大きさはそれぞれのキャンプに送り込まれた人の数です。

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多くのキャンプが西海岸(カリフォルニア)にあるのがわかりますが、なかには、ネバダのような砂漠地帯、ワイオミング、アイダホ、コロラドのような内部の山脈地帯、さらにはアーカンソーのような南部にも収容所があったのがわかります。いずれにしても、どこもそれぞれの州の中でもさらに僻地であったようです。

収容所の気候

砂嵐にまみれるManzanar収容所 by U.S. National Archives and Records Administration

こうした収容所がどういう場所だったのかを知るためにそれぞれの場所の天候がどのようなものであったかを調べてみたいと思います。そこで、去年になりますがそれぞれの地域ごとの気温に関するデータをこちらより取ってくることができましたので、そちらを以下のように可視化してみました。

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こちらはそれぞれの収容所があった地域の週の平均気温の一年を通した推移を表しています。一番上から、Poston、Gilar Riverのような夏に非常に暑くなるところから、一番下の方にあるHeart Mountain, Topazのような特に冬の間ものすごく寒くなるところがあるのがわかります。

参考のため、一番多くの人達が住んでいたロサンゼルスの気温の推移も緑色のラインとして入れてあります。少しわかりにくいので、上の2つと下の2つだけを残してそれをロサンゼルスと比べて見ると以下のようなります。

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こうしてみると、ロサンゼルスというのは比較的一年を通して温暖な気候であるというのがわかると思いますが、それにたいして、ここにリストされている収容所というのは夏にものすごく暑くなる場所、もしくは冬の間にものすごく寒くなるというのがみてとれます。

こちらにすべての収容所の天候がどうであったのかをロサンゼルスの平均的な気温のレンジをもとに比べてみたものが以下になります。

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こちらでは、それぞれの収容所の平均ではなく、それぞれの週の最高、もしくは最低気温をあらわしてみました。さらに比較の対象としてロサンゼルスの一般的な気温のレンジである10度から30度を緑色のレンジとして出してみました。

こちらからは、Heart Mountain, Minidoka, Tule Lakeのような場所は最低気温がほとんど一年を通してレンジを下回るのがわかります。さらに、Gilar River, Granada, Postonのような場所は最高気温が多くの時期でそのレンジを大きく上回ることがわかります。

今まで見てきたものは、週ごとの平均、最高、または最低気温だったのですが、もうすこし詳しく、毎日の時間あたりの平均気温を基に比べると、もっと実際の気候を感じることができるのではということで以下に一年を通して365日を横軸に、さらにそれぞれの日の24時間ごとを縦軸にした上で、それぞれの収容所ごとの気温をヒートマップとして表現してみました。

こちらも、比べやすくするために、一番多くの日系人が住んでいたロサンジェルスを混ぜています。ロサンゼルスを見ると色に偏りがなく、つまり、温度差が少なく過ごしやすい気候であることがわかります。それと比べると他の収容所は、時期や時間によってかなり暑かったり寒かったりと、過酷な気候であることがわかります。

このような収容所に今日のようにエアコンや、ヒーターがなかった時代、さらにはまともな衣服、布団、防寒具なども与えられずに4年、5年も、生活を強いられたというのは辛く大変なことであったと思われます。

こうしてみると、どこの収容所に送られるかによってかなり違った体験になると思います。それでは、どのようにしてどこの収容所に送り込まれることが決まったのでしょうか?例えば、年齢や、出身地などによってどこの収容所に送られるかということが決まったのでしょうか?

これを知るために、次の章では収容所ごとに送り込まれた日系人の特徴というものを調べてみます。

どこのキャンプに送り込まれるかを決める条件

収容所と生まれた場所

まずはどこに住んでいたかということがそれぞれの収容所の特徴であるかどうか見てみます。

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それぞれの収容所ごとの日系人の出身地の比率がわかりやすくなるように、それぞれのバーを100%にスケールしてあります。

明らかに、TulelakeとMinidoka 収容所は他に比べて出身地の比率が違うのがわかります。なかでも、ワシントン州とオレゴン州が多いのがわかります。さらに、Jerome収容所はハワイ出身の日系人が多いのがわかります。

日系移民か日系アメリカ人か

日本で生まれたのか、アメリカで生まれたので違いはあるのでしょうか?以下のようにその違いを色で表してみましたが、特に顕著な違いはキャンプを通して見られません。

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収容所と年齢

年齢はどの収容所に送られるかということに関係しているのでしょうか?年齢を10歳ごとに区切ってそれぞれの割合を以下のように見てみました。

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こちらもそれぞれのキャンプで顕著な違いが見られるということがはありません。

さらに全ての年齢の分散がわかるように年齢をX軸にとってキャンプ毎に表してみました。

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こちらでも特にキャンプ毎に違ったトレンドが見られるというわけではないですが、それにしても、20代、とくに20代前半の割合が突出しているのが顕著です。

収容所と宗教

こちらのデータにはそれぞれの人達の信じていた宗教という情報がありますが、それがキャンプ毎に違うのかを調べるために以下のように可視化してみました。

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こちらは少しですがそれぞれのキャンプごとに違いがあるようです。例えば仏教徒はどのキャンプでもマジョリティですが、とくにGila River、Jerome、Rohwer、Tule Lakeといった収容所では60%以上を占めるのに対し、Manzanar、Minidokaといった収容所では50%を下回ります。そのぶん、Baptist、カトリック信者、もしくは何も信じない、No Religionの数が多くなっています。

さらに、同じキリスト教でもAmache, MinidokaはMethodist系のプロテスタント信者が多いのに対しGilariver、Heartmountainでは2割ほどがプロテスタントであるのがわかります。

収容所と住んでいた場所

では、もともと住んでいた場所というのはどうでしょうか?地図に、もともと住んでいた場所から収容所への移動がどうであったのか、表示させてみましょう。

この図を見てみても、ここに住んでいた人は、この収容所に送られるという規則性があまりあるようには見えません。では、どのようにして行先の収容所が決まっていたのでしょうか。

それぞれの収容所の特徴

もしかしたらいろいろな条件が積み重なって決まっているのかもしれません。こういうときにはデータサイエンスの世界でよく使われる特徴量分析という手法があるので、それを活用することによって、このデータの中にあるいろいろな属性の中で何がどれくらい最終的にどのキャンプに送られることになるのかの決定要因になっているのかを見てみましょう。

今回は、camp_name(どの強制収容所だったか)と以下の変数の関係性を調べます。

  • county - どこのcountyにいたか
  • Assembly Center - どの集合センターに一度収容されたか
  • birthplace_jp_or_us - 日本生まれかアメリカ生まれか
  • religion - 宗教は何か
  • gender - 性別
  • timeinljapan - 日本にどのくらいいたか
  • Fam_numbers - 家族の人数
  • Age - 年齢
  • Ethnicity - 人種
  • Spouse_ethnicity - 結婚相手の人種
  • Militaryservice - 従軍の経験があるかどうか、ある場合はどういった経験か
  • Citizenship_doc - 市民権に関するステータス
  • maritalstatus - 結婚しているかどうか

結果を棒グラフで表示すると、以下のようになります。

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チャートのY軸(縦軸)はジニ係数の平均減少度ですが、この値が大きいほど、すなわち、それぞれのバーが高いほど、その変数の情報によってどこの強制収容所に行くことになるかということに影響をより多く及ぼすということになります。

ということで、こちらのチャートから、どの集合センター(Assembly Center)だったのかということが最終的にどの強制収容所に送られたのかということに強く影響していたということが言えます。

この集合センター(Assembly Center)というのは、強制収容所に送る準備が整うまで、一時的に日系人を収容する施設でした。

Puyallup集合センター。Muddy conditions at Puyallup Assembly Center, Washington, 1942. Courtesy of the Museum of History & Industry (Seattle Post-Intelligencer Collection, number 1986.5.6680.1, Puyallup-Japanese Colony.)

16か所ほどあるのですが、そのほとんどがカリフォルニアに集中しています。

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ですのでもともとどこに住んでいた場所以上に、どこの集合センターに一時的にでも送られたのかということが最終的に収容されることになる収容所がどこになるかということに関係しているということです。

この特徴量分析に使うアルゴリズムは最終的なアウトプット(この場合は強制収容所)を予測するための予測モデルを内部的に作っているのですが、それぞれのアウトプットのタイプ(強制収容所の名前)を予測する精度ががどれくらいかということも教えてくれます。つまり、あるキャンプを予測する精度は高いが別のキャンプを予測する精度はあまり高くないかもしれないといった情報がわかるということです。

それを表したものが以下のものになります。’F Score’というのがここで特に注目したい指標になります。こちらはどれだけその当てたい特定のアウトプットを予測して本当にそうだったという確率とそうでないと予測し本当にそうでなかった確率の両方がともに高くなるかどうかを見ることができます。

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表の列の頭にある’F Score’という文字を一度クリックしてみてください。するとデータのほうが’F Score’をもとにソートされます。

上記の情報よりここで作られた予測モデルはManzanar, Topaz, Minidoka, Heartmountainを予測する際に比較的高い精度を発揮するということがわかります。

実際に棒グラフで、x軸を収容所、色を集合センター(Assembly Center)にしてみると、Manzanarは殆どManzanarの集合センター、TopazはTanforan、MinidokaはPuyalupかPortland、HeartmountainはPomonaかSanta Anitaから来ていることがわかります。

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これら4つの、Manzanar, Topaz, Minidoka, Heartmountainの収容所への集合センター(Assembly Center)からの移動を地図上に表示すると、以下のようになります。

それぞれの集合センターの特徴

それではそもそもどのようにしてどの集合センター(Assembly Center)へまず送られるというのが決まっていたのでしょうか。もともと住んでいたところから近いところだったのでしょうか。それとも家族構成、年齢、宗教など他の要因がからんでいたのでしょうか。

これも先程使った特徴量分析の手法を用いて調べてみましょう。今回知りたいのは、集合センター(Assembly Center)ごとの以下の情報を基にした特徴量です。

  • county - どこのcountyにいたか
  • birthplace_jp_or_us - 日本生まれかアメリカ生まれか
  • religion - 宗教は何か
  • gender - 性別
  • timeinljapan - 日本にどのくらいいたか
  • Fam_numbers - 家族の人数
  • Age - 年齢
  • Ethnicity - 人種
  • Spouse_ethnicity - 結婚相手の人種
  • Militaryservice - 従軍の経験があるかどうか、ある場合はどういった経験か
  • Citizenship_doc - 市民権に関するステータス
  • maritalstatus - 結婚しているかどうか

特徴量分析のアルゴリズムを流すことによって以下の結果が得られます。

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この予測モデルによると、住んでいた都市というのが圧倒的にどこの集合センターに入れられることになるかということに影響するようです。さらに父親の職業、市民権のステータス、年齢、家族の人数、宗教などというのが少しながら影響しているのがわかります。

ただこちらも先程見たように、ここで作られた予測モデルがどのカテゴリー、つまりこの場合はどの集合センターを予測する精度が高いのか、低いのかを見てみる必要があります。すると、Puyallup, Tanforan, Sacramentoの3つのセンターが比較的高いというのがわかります。

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表の列の頭にある’F Score’という文字を一度クリックしてみてください。するとデータのほうが’F Score’をもとにソートされます。

実際に、棒グラフで集合センターごとに出身のcountyがどうなっているのか見てみると、以下のようになります。

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たしかに、PuyallupにはSeattle(シアトル), Sacramento(サクラメント)はその地元であるSacramento(サクラメント)、ManzanarはLos Angeles(ロサンゼルス)から来ている人が多いという傾向があることがわかります。

逆にこちらでは日系人の多かったトップ10の都市からどちらの集合センターへ送られたのかをバーグラフで表してみました。

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すると、ロサンゼルスからはいくつかの集合センターに送られてるがわかりますが、多くの都市からは多くの人が同じ集合センターに送られているのがわかります。例えばSeattleはPuyallup、SacramentoはSacramentoというようにです。

次に、日系移民の数の多かった上位4都市、ロサンゼルス、シアトル、サクラメント、サンフランシスコからどちらの集合センターに送られたのかを地図上に可視化すると以下のようになります。

黒い丸はもともと住んでいた都市、青い線はそこから集合センターへの移動、青い丸は集合センターを表します。青い丸の大きさはそこへ行き着いた人たちの数によって相対的に表されています。

こうしてみると、この4都市の多くの人達は比較的近い場所にある集合センターへまずは送られていたのがわかりますが、それでも中には、はるか離れた場所に送られることになった人たちがいるのにも気付きます。

まとめ

今回はDenshoプロジェクトのウェブサイトより公開されている実際に第2次世界対戦中にアメリカで強制収容された10万人以上にも上る人たちに関するデータをExploratory Data Analysis (探索的データ分析)の手法を使って分析し、そこから得られたインサイト(知見)をみなさんとシェアするためにまとめてみました。

第2次世界大戦、または太平洋戦争というと、70年以上も前の出来事であり、はるか昔、実感することのできない遠い彼方のことのような気がします。1970年代生まれの私は小学生の頃、祖父、祖母から直接聞いた、実際に彼らが体験した東京大空襲という恐ろしい出来事を通して、戦争というものが私達の生きるこの世界に実際に起こりうるおぞましい出来事なのだと、恐怖、悲しさ、怒りという感情をもって胸に刻んだのを覚えています。それは二度とこうした戦争を起こしてはいけないという強い想いでした。

しかし、今日、一部の独裁者が核爆弾の恐怖を威嚇、脅しのために弄び、世界で最も影響力のある国の指導者は“戦争”という言葉を簡単にツイートすることで民衆の戦争に関する感覚を麻痺させ、さらにあからさまに人種差別を肯定するような発言やデモンストレーションが先進国で日常化しつつあります。なにか急に私達の世代、つまりはこの戦後の世代はまるで第2次世界対戦の悲惨な経験をみんなで忘れてしまったかのようです。今日のように毎日物が溢れ、スマホを開ければ世界中の人々と簡単につながることができる今日にあってはそうした歴史を日々想像することが難しいのかもしれません。

そうであるからこそ、アメリカで第2次世界大戦中に日系人の強制収容という形で起きた人類にとっての醜く、恥ずべき歴史を、それを経験した世代が亡くなっていくことで自然と風化させるのではなく、積極的に後世に伝えていこうというDenshoプロジェクトのビジョンは世代、年齢、住んでいるところ、国籍などといった壁を超え、今日特別な意味があるのではないでしょうか。

私達人間には過去から学ぶことができます。であるからこそ私達がここまで高度に発達した豊かな文明を今日にいたって築きあげることができたのではないでしょうか。私達人類が経験した悲惨で恥ずべき歴史を繰り返さないために、私たちに今できるのは、ただ時代の傍観者となることなく、積極的にそうした歴史を理解し、より深く今日に通じる議論を行い、さらにより広く多くの人に伝えていくことではないかと思います。この記事が読んでいただいた皆さんにとって、そんな一つのきっかけになることができれば幸いです。

さらに願わくば、みなさんもデータをこちらのDenshoプロジェクトのページよりダウンロードしてみて実際に触れていただければと思います。(今回使ったデータの直接のリンクはこちらです。)そして、私達の得たインサイト以上のインサイトを発見しそれを共有していただければと思います。

西田 勘一郎, CEO/Exploratory

Exploratory一同

2017年8月15日