AIリスク #2 - AIは私達の仕事を奪ってしまうのか?

今回はAIリスクシリーズの第2弾です。

AI Will Destroy Jobs. So What Are We Going to Do About It? - Link

AIのリスクにはいくつかありますが、今回は「AIによって仕事が失くなる」というリスクに関しての考察になります。

最近のChatGPTやMidjourneyなどに代表される生成AIは、これまでの機会化や自動化と違い、弁護士、コンサルタント、デザイナーといったいわゆるホワイトカラーの仕事、または知的労働者の仕事(の一部)を置き換える可能性があるため、いよいよこれで人間の仕事が失くなってしまうと心配する人も多いのではないでしょうか。

そして、そうした人々の不安を利用し、恐怖を煽ることでユニバーサル・インカムという名の下で共産主義的な政策を売り込む人たちまで出てきます。

しかし、今回も冷静に、機会化や自動化の歴史を振り返れば、さらに経済の基本的な仕組みを理解すれば、このリスクにも論理的な根拠がないとマーク・アンドリーセン(ベンチャー・キャピタルA16Zの創業者、共同代表)は主張します。

以下、翻訳となります。


歴史上最初の機械化であった動力織機がイギリスで普及し始めた頃には「ラッダイト運動」が起こりました。

それ以来機械化、自動化、コンピューター化、またはAIによって仕事が失くなる、という恐怖は何百年にもわたって私達人類の間に繰り返しパニックを引き起こしてきました。


訳者注:

ラッダイト運動とは、19世紀のイギリスで見られた、コスト削減のための機械の使用に反対する織工たちによる運動。その運動は、しばしば機械破壊という形を取った。

このグループのメンバーは自分たちをラッダイトと呼び、ネッド・ラッドという伝説的な織工の名前を取ったと言われている。

ラッダイト運動はイングランドのノッティンガムで始まり、1811年から1816年まで続いた地域全体の反乱に至った。製粉所や工場の所有者は抗議者に発砲し、最終的には法的・軍事的な力で運動は鎮圧された。

時が経つに連れて、ラッダイトという名前は、産業化、自動化、コンピューター化、または新しいテクノロジーに反対する人たちのことを呼ぶのに使われるようになった。

ソース: [Wikipedia (English)] (https://en.wikipedia.org/wiki/Luddite), [Wikipedia (日本語)]https://ja.wikipedia.org/wiki/ラッダイト運動


歴史上、これまで出てきた新しいテクノロジーはどれも、より多くのの仕事を、そしてより高い賃金で生み出してきたにもかかわらず、毎回「今回は違う!」という主張とともにこの手のパニックは繰り返されてきました。今回はついに仕事が失くなる時が来た、これこそが人間の仕事を最終的に葬り去ってしまうテクノロジーだ、というわけです。しかし、そうしたことが起こったことはないのです。

みなさんもまだ覚えていると思いますが、比較的最近にもこうしたテクノロジーによる失業パニックのサイクルが2回ほどありました。それは2000年代のアウトソーシングによるパニック、そして2010年代の自動化によるパニックです。それら両方の時代には、たくさんの解説者、専門家、そしてときにはテクノロジー産業の重役までもが、大量の失業時代はすぐそこだと騒ぎ立ててきました。にも関わらず、コロナが始まる直前の時点では、それまでのどの時期に比べてもより多くの仕事が、より高い賃金で世界中に存在していたのです。

しかし、こうした共産主義的な間違った考えが消えることはありません。

そして、もちろん今また帰ってきました。(AI Will Destroy Jobs. So What Are We Going to Do About It?

今回は、いよいよすべての仕事を奪い去り、労働者としての人間を無用とするテクノロジーがやってきたと。ほんとうのAIだ。今回は歴史は繰り返さない。AIは、急激な経済、仕事、賃金の成長ではなく、大規模な失業を起こすのだと。

しかし、そんなことは起きません。経済のあらゆる分野で開発され進化していくことが許されるのであれば、AIは、仕事の数と賃金という点で記録的なレベルの成長をともなうかたちで、歴史上もっとも劇的で継続的な経済の成長を促すことになるでしょう。多くの人が抱く恐怖とは正反対のことです。

なぜなのでしょうか?

それは、この自動化によって仕事が失くなるという人たちの主張は、経済学の世界で「労働塊の誤謬」と呼ばれる考えに深く根ざしているからです。

この迷信は、世の中における仕事はどんなときでも一定量しかないという間違った思い込みです。そのため、機械が人の仕事をやるようになれば、その分世の中から仕事が失くなるというものです。


訳者注:

労働塊の誤謬(ろうどうかいのごびゅう、lump of labour fallacy)とは経済学の用語で、世の中における仕事は一定量しかないという考え方、または、その一定量の仕事を労働者が取り合うしかないという見方を意味する。経済学者の間では一般的に誤りとされる。

これはゼロサムゲームと言われたり、固定のパイと言われたりもします。パイの奪い合いと言うやつですね。


この「「労働塊の誤謬」は人間の持つナイーブな直感から来ていますが、この直感は間違っているのです。テクノロジーが生産に使われるようになると、生産性が上がります。インプットしたものをアウトプットすると考えたとき、インプット側(生産側)へのテクノロジーによる減少は、アウトプット側にはアウトプットする量の増加という形で出てくるからです。その結果、ものやサービスの価格は下がります。価格が下がると、私達は同じものに対してより少ないお金を費やすことになるので、私達には他のものを買うことができるという購買においてより多くの力を持つことになります。この増加が経済の世界における需要を増やし、この新しい需要は新しい製品や産業を含めた新しい生産を作り出すエンジンになります。この結果として、物質的により豊かになり、より多くの産業、より多くの製品、より多くの仕事をともなう形で、これまでよりもより大きな経済圏となるのです。

この良い循環はここで止まりません。というのも、このことによって私達はより高い賃金を得ることができるようになるのです。それぞれの労働者のレベルに注目すると、市場は労働者の生産性に対しての報酬として賃金を設定するからです。(リンク)テクノロジーの採用に機敏なビジネスで働く一人の労働者の生産性は、そうでない古いやり方を行い続けるビジネスで働く人に対してより高いものです。彼はより生産性が高いということで、会社はその労働者により高い賃金を払うか、さもなければ別の会社がより高い賃金を持って彼を採用することになるでしょう。結果として、ある産業にテクノロジーがもたらされると、その産業における仕事の数は増えるだけでなく、賃金も上がることになるのです。

まとめると、テクノロジーは人々の生産性を上げます。これによって既存のものやサービスの価格が下る、そして、賃金が上がる。このことによって経済が成長し、新しい仕事、産業を作り出すことによって、仕事も増えるということです。もし市場が正常に機能することが許されていて、テクノロジーが自由に採用されることが許されているのであれば、これは上に向かって進んでいく好循環を作り出し、その循環が終わることはありません。

ミルトン・フリードマンが言及したように、「人々のwants(欲しい)とneeds(必要)は終わることがない」のです。私達はいつも、今持っている以上のものが欲しいものです。テクノロジー・ドリブンな市場経済こそが、みんなに欲しいと思うものを全て与えるというゴールに近づく道ですが、それでも、それは決して到達できるものではないのです。これこそが、テクノロジーが仕事を破壊することがなく、そうなるときもやって来ないという理由です。

  • Why Are There Still So Many Jobs? The History and Future of Workplace Automation - Link

こうした考えにこれまで触れることがなかったような人たちには、すぐには納得できないかもしれません。しかし、これは私の勝手な思いつきではありません。これらの考えは経済学の標準的な教科書に書いてあるようなことなのです。それでも信用できないというのであれば、Henry Hazlittの「Economics In One Lesson」という本の中の「The Curse of Machinery」という章や、フレデリック・バスティアによる、照明業界にとって不公平な競争をもたらす太陽を遮るように請願するろうそくメーカーの話「The Candlemakers’ Petition: Revised and Modernized for Today’s Climate of Rising Trade Protectionism」をぜひ読んでみて下さい。

それでも、これを読んでいるあなたは「今回は違う!」と思っているでしょう。今度こそ、このAIというテクノロジーは、人間の仕事を全て置き換えてしまうのだと。

そこで、全ての人間の仕事が機械によって失われるというのを文字通り受け取ってみて、するとその後どうなるのかということを、これまでに話した原理を使って考えてみましょう。

経済的な生産性の成長ロケットは成層圏を飛び出し、これまで歴史上見られなかったくらいの大きさとなるでしょう。既存の全てのものやサービスの価格は、ほぼゼロになるまで落ちるということです。消費者の幸福は天まで届くでしょう。消費者の購買力も天まで届くでしょう。経済世界の新しい需要は爆発するでしょう。起業家たちはいくつもの新しい産業、製品、サービスを作り、この新しい需要を満たすために必要となる膨大な人とAIを雇用する必要が出てくるでしょう。

このとき、またAIがこうして新たに作り出された仕事をすべて置き換えてしまったとしましょう。しかし、また例の循環が始まるだけです。消費者の豊かさ、経済成長、仕事と賃金はまたさらに上昇するでしょう。それはアダム・スミスとカール・マルクスにも夢見ることができなかったほどの物質的なユートピアへと向かって駆け上がっていく、循環が起き続けることになるでしょう。

そんなことにでもなれば、私たちはなんてラッキーなのでしょうか。


あとがき

1970年代後半から80年代にかけ、PC(パーソナル・コンピューター)が登場したときにも同じようなことがありました。当時の人たちは、Appleが販売し始めたこの新しいコンピューターによってみんなの仕事が自動化され、仕事が無くなってしまうと心配したものでした。

当時のAppleの会長であったスティーブ・ジョブスがインタビューされているこちらのビデオにそうした当時の心配が見て取れます。(5:32秒からスティーブ・ジョブスのインタビューに入っていきます。)

しかし、スティーブはそのとき「バイシクル(自転車)・コンピューター」というコンセプトを持ち出します。それは、人間は動物に比べればたいした肉体的能力を持っていないが、ツールを作る能力に長け、歴史を振り返れば人間の能力を劇的に向上させる様々なツールを作ってきた。その代表が自転車で、この自転車を使うことで、どの動物よりも効率的に移動することができる、というのです。

そして彼は、PCは人間にとっては自転車のようなもので、それは人間の仕事を奪うものではなく、人間の能力を劇的に向上させるツールだと主張しました。

当時は、こうした見解に疑いの目を持つ人たちがたくさんいました。しかし、スティーブ・ジョブスが正しかったことはその後40年たった今を生きる私達には明らかです。つまり、PCは人々から仕事を奪うと言うよりは、人々の仕事を効率化するものであり、さらにはより多くの仕事を生み出すものでさえあったのです。

こうして、歴史を振り返れば、今のAIに関する心配に対しても、もう少し冷静に分析、判断できるようになるのではと思います。そうすることで、ただ心配するのではなく、逆にこのAIの波が作り出す未知の可能性に注意を向け、そのチャンスを自分のキャリアのため、自分の周りの人のため、さらには日本のために活かすことができるようになるのではと思います。


データサイエンス・ブートキャンプ・トレーニング

データサイエンス、統計の手法、データ分析を1から体系的に学ぶことで、ビジネスの現場で使える実践的なスキルを身につけたいという方は、ぜひこの機会に参加をご検討ください!

ビジネスのデータ分析だけでなく、日常生活やキャリア構築にも役立つデータリテラシー、そして「よりよい意思決定」をしていくために必要になるデータをもとにした科学的思考もいっしょに身につけていただけるトレーニングとなっています。

詳細を見る

Export Chart Image
Output Format
PNG SVG
Background
Set background transparent
Size
Width (Pixel)
Height (Pixel)
Pixel Ratio