パワポのスライドと箇条書きが人間を駄目にする

旧ソ連共産党機関誌プラウダ (5月24日, 1982)

旧ソ連共産党機関誌プラウダ (5月24日, 1982)

今から20年前の2003年、データの可視化やインフォメーションデザインの先駆者として有名なイエール大学の教授エドワード・タフティが「パワーポイントの認知スタイル」というエッセイを発表しました。

彼はこのエッセイの中で、パワーポイントのようなスライド形式はプレゼンテーション自体の質を低下させ、余計な誤解や混乱を招き、さらに言葉の使い方、論理的な説明、そして統計的な分析といったものが犠牲になるため、スライドをつくる人の思考回路にダメージを与えると主張します。

こうした主張に賛同する人は現在でも多くいて、その典型的な例がアマゾンです。アマゾンではミーティングの前に文章形式の資料が配られ、ミーティングの最初の5分はそれぞれがこの配られたレポートを黙って読むことから始まるという話は多くの方も聞いたことがあるのではないでしょうか。(リンク

実は、アマゾンのジェフ・ベゾス(創業者、元CEO)や初期チームのメンバーは、実際このエッセイを読んだ後に社内ミーティングでのパワーポイントのようなスライドの使用を禁止し、その後文章形式のレポートに変えたのです。

今回は、何がパワーポイントのようなスライドの問題なのか、どのようにそういった問題を克服すればよいのか、こちらのエッセイを要訳という形で以下にまとめました。

以下、要訳。


適当に使われるスペースと大きな文字による錯覚

スライドはプレゼンテーションをする人にとって自分の話の枠組みを作るために使えるし、さらに、視覚に訴えるようなコンテンツを作りやすいので便利です。プレゼンとして、レポートとして、メールに添付される資料として、そして印刷されて配られる資料など様々な用途に使われます。

しかしほとんどのスライドは見せかけだけで、実際には中身のないもので満たされています。せっかくの真面目な分析結果も、しっかりとしたインサイト(知見)が記述されることのない次から次へと出てくるチャートによって何がわかったのか、またはわかってないのかが曖昧になります。そして、それぞれのページは内容とは全く関係のない目障りで余計なデザイン、ブランドのロゴや写真、ダサい漫画のような画像などによって埋められ、本当に伝えたいメッセージを台無しにしてしまいます。

貧相に割り当てられた空白とともに、スライドに大きく書かれたキャッチコピー的な言い回しは、それが正確かどうかに関係なく、いかにも真実で意味のあることかのような錯覚を引き起こします。そうした文言を支える根拠も、論理的な説明もされてないにもかかわらずです。

例えば、このスライドは「相関は因果でない」と大きく書かれていますが、これは不完全な文言です。

本来は、「実証的に観察された共変動(相関)は、それが因果関係であるための必要条件ではあるが、十分条件ではない。」、または「相関は因果でない、しかしそれは重要なヒントである。」と記すべきでしょう。

しかし、こうした文章はスライドには長すぎるということで、元々あった重要な部分が削られてしまい、結果として長い文章の一部が文脈を考慮することもなしに、あたかもそれ自身が真実であるかのように独り歩きし始めてしまうのです。

箇条書きはあなたを馬鹿にする

スライドを使うことのもう一つの問題は箇条書きリストです。

ハーバード・ビジネスレビューに掲載されていたある研究によると、一般的で、表面的で、単純な箇条書きが現代のビジネスの現場では広く使われているとのことです。

  • Strategic Stories: How 3M 
is Rewriting Business Planning (Harvard Business Review, 1998) - リンク

この研究の要旨は、簡単に言うと箇条書きを使うと馬鹿になるということです。

箇条書きリストは私達を怠け者にします。

箇条書きのリストは、3つの論理的な関係、つまり順番(最初から最後)、重要性、メンバー性の3つしか伝えることができません。ここで言うメンバー性とは、リストに入っているメンバーはそれぞれ何らかの関係があるというだけの意味です。そして、ここに挙げた3つのタイプの関係のうち、箇条書きリストは一度に一つの関係しか伝えることができないのです。

箇条書きリストは、そこにリストされているもの同士の間にある重要な関係について何も語ることはありません。それらの間にある関係についての話を省くことで、因果的な関係の前提や背景、そして合理性に根拠をもたらす分析過程といったものを無視し、読者の目から隠してしまうのです。

例えば次のようなあるビジネスの5カ年計画における3つの戦略的ゴールという箇条書きリストを見てみましょう。

どれもビジネス計画としてはもっともらしく見え、そのまま次のページへと進んでしまいそうです。質問があるとすれば、それぞれのコメントの中の数値が達成可能なのかどうかくらいでしょう。

しかし、これにはそれ以上の大きな問題があります。

それは、ここでは触れられていないことです。

この箇条書きはこの会社のビジョン、マーケット、そして顧客に関する情報など、ビジネス状況に関する重要な前提となる情報を省いています。こうしたことはこのリストから何も推測できません。

さらに、この計画はここにリストされたそれぞれのゴールがどのように相互作用するのか明らかにしていません。こうしたゴールを達成するためには、全く異なるいくつかの戦略が想定されるにもかかわらずです。

例えば、マーケティングを改善することでマーケットシェアを伸ばすという戦略なのかもしれません。しかしそれは同時に利益を伸ばすことになるのでしょうか?

また、マーケットに出す新製品を増やすと、当然開発コストが上がります。しかしそのためのお金はどこから出てくるのでしょうか?これは利益が伸びることとどうつながるのでしょうか?

それとも、マーケットに出す新製品を増やすことが利益の増加、そしてマーケットシェアの伸びの2つを同時に満たすというのであれば、その根拠は何でしょうか?

ひょっとしたら、どこからともなく湧き出てきた急な利益の増加が、マーケットシェアを伸ばすための広告費と、新製品開発のコストを出してくれるということなのかもしれません。であれば、その前提は何でしょうか?

本来であれば、誰が、どうやって、いつ、どこで、そうした目標を実現するのか、といったことが書いてあるべきです。具体的な方法とプロセスについて説明する必要があるからです。しかしそのためには、数単語で作られる箇条書きではなく、少なくとも数行にわたる文章が必要となるのです。

ところがビジネス計画と呼ばれるものの多くは、こういった箇条書きリストが氾濫したパワーポイントのスライドを使って書かれているというのが現実です。

上記のハーバード・ビジネス・レビューによる企業のビジネス計画に関する研究は、広く使われる箇条書きリストはそうした計画に知的な規律をもたらすというよりは、むしろ一般的、表面的、そして単純すぎる内容にするのを助けてしまっていると結論付けています。

スライドによって致命的な間違いを犯してしまったNASA

2003年2月1日、スペースシャトル・コロンビア号は大気圏に再突入する際にテキサス州とルイジアナ州の上空で空中分解し、乗客7名全員が犠牲となりました。

コロンビア事故調査会の最終レポートによると、このコロンビアの事故の一つの要因として、普段からNASA内で広く使われていたパワーポイントを使ったコミュニケーションを挙げています。そうした文化は、技術的なコミュニケーションにダメージを与えるものだったとのことです。

打ち上げの際に外部燃料タンク発泡断熱材が剥がれ、その破片が左主翼を直撃し機体を守る耐熱システムを損傷させていました。しかし、この損傷が起きたのか、起きたとしたらどのようなダメージなのか、というのは当初よくわかっていない状況でした。

そしてコロンビア号が再び大気圏内に突入するまでの2週間の間、NASAの官僚組織内の部署間、そしてNASAとスペースシャトル製造メーカーであるボーイングとの間でいくつものコミュニケーションやミーティングが行われたのですが、そのさいの分析報告はパワーポイントのスライドが使われていました。

当初下位レベルのエンジニアたちは、コロンビア号が抱えているリスクの可能性についてEメールでコミュニケーションをしていました。それらのメールの90%は段落と文章を使ったテキストで、10%ほどが箇条書きリストでした。この時点ではエンジニアたちはパワーポイントで使われるような複数の階層に渡る箇条書きリストを使うことなしに、問題について合理的に説明することができていたのです。

ところが、そうした分析結果の報告はNASAの官僚組織の中の階層を上がっていく過程でパワーポイントスライドになってしまいました。コロンビア号の左翼に起きているかもしれないダメージについて分析したレポートは3つありましたがそれらは全てパワーポイントになっていたのです。

これらのスライドは典型的な問題を含んでいました。分析に使われた定量的な数字はあまりにも細かく誰も読まないであろうスプレッドシートの表形式で提示され、それらを説明する解釈の文章なしに別のスライドとして用意されているだけでした。

さらに、彼らが使っていたスライドの箇条書きリストはなんと6つもの階層を持つもので、11個の簡単な文がそうした階層によってまとめられていたのです。文章が書かれている全てのスライドのページがそうなのです。そして不思議なことに、いつも1つのトピックは1ページにぴったりと収まるのです。

当初のスライドには箇条書きリストの下の方に、例の断熱材の破片が当たった左主翼の状況にリスクがあるので国防相にもっと解像度のいい写真を撮影することを要請することを促していました。しかし、この情報は箇条書きリストの下の方に一文で書かれているのみでした。

この一文はどういう背景でそこにあるのか、どれほどの緊急度とリスクなのか、他にリストされている文とはどういった関係があるのか、さらにそのリスクの根拠はどういった分析結果から導かれたのかなどといった文脈や詳細を示す文章はありませんでした。

そして、コロンビア号が大気圏外に2週間いる間、そのスライドは組織内の階層を登っていくのですが、途中でその重要な一文は消されることとなってしまいました。その結果、その2週間の間に進めるべきであったさらなる調査や、コロンビア号のより詳細な写真が撮られることもなく、何の対策もとられないままにコロンビア号はそのまま大気圏に再突入し、その後の惨事につながってしまったのです。

コロンビア号事故調査委員会はパワーポイントをベースにした思考スタイルがNASAという官僚組織の階層を上がっていくにつれ必要な情報が削り落とされてしまうのを可能にし、そこに提示された情報をバイアスを持って解釈してしまうことに拍車をかけていたと結論付けました。

物理学の世界でノーベル賞をとったことでも有名なリチャード・ファインマンもこの箇条書きの問題に出会ったことがあります。それは1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故調査委員会を支援したときです。

「そこでこの箇条書きリスト、それぞれの文章の前にあるあの小さい黒い丸に出会ったんだ。なんでもこの黒丸をつければどんな状況もまとまるらしいんだ。とにかく、出されるレポートやスライドに次から次へと出てくるんだ、このクソみたいな箇条書きが!」

  • What Do You Care What Other People Think? by Richard Feynman - Link

情報が組織の中の階層を上っていくにつれ、実際に現場で分析をする人から、中間管理職、そしてシニアレベルの役員へと上がっていくにつれ、重要な説明やそれを裏付ける情報がどんどんと省かれていくものです。これではシニアレベルのマネージャーがスライドを読んでも本来重要なことに気づいてなくとも不思議でも何でもありません。

情報量のないパワーポイント

スライドの問題はそこに提示される情報量の少なさです。私達は話すときに1分間に100から160の単語を処理します。それはたいした量の情報ではありません。というのも私達はふつう1分間に300から1000の単語を読むことができるからです。

しかし、中身とは関係のないイメージ、意味のないチャート、貧相な文章などで散りばめられたスライドが1枚に抱える情報は40単語ほどです。これは黙読するなら8秒で終わるような量の情報なのです。

なぜこんなことになるのでしょうか?

3つの要因があります。

それは、まずパワーポイントのデザインスタイルです。それは1つのスライドの30%から40%ほどしか文章を書くスペースを与えません。他は箇条書きリストの黒丸だとかインデント、無駄なタイトルやそれを強調するために使われる大きなフォントや周りのスペース、企業のブランディングのためのロゴやイメージやフッター、そして意味のないイメージなどに使われています。

そして文章であるテキストの大きさです。そもそもプレゼンテーション用のフォーマットなので観衆から見えるようにということで文字を大きくするようなデザインなのですが、これはレポートとしてはムダに大きいだけです。

最後に、パワーポイントを使って何かを書いてる人にはたいして伝えることがないということです。もちろんこういう人にとって、パワーポイントは最高の助けとなるでしょう。

それでは、どうすればよいのか?

感情的なイメージやビジュアルデザインを使うなど、うまくできたスライドは聴衆を巻き込むことができます。そもそもそのためのツールなのです。なので、何かを一方的に売りたいときには便利なツールとなるでしょう。

しかし、分析や調査結果を他の人に伝える、または共有する場合には、前提や仮説、そこに至る背景、結論を得るための実験、調査、思考などの根拠を明確に説明しなくてはいけません。しかし、スライドはこうしたことを助けるどころか、逆にぶち壊してしまうのです。

そこでみなさんに推奨したいのは、真剣なプレゼンテーションをするときには、パワーポイントのスライドを使うのではなく、文章、数字、チャート、内容を説明するために必要な最低限のイメージが入ったレポートを作り、それを紙に印刷し聴衆に前もって配るのがいいでしょう。しっかりとした文章として書かれたものを読むことによって、聴衆は背景や前提、そこにあるストーリー、そして主張の根拠をより明確に理解できるようになります。

心配しないで下さい。詳細を書いたからと言って読むのが難しくなるということはありません。詳細をしっかりと書けば、そこに書かれている主張をより明確にし、読む人の理解を助けることになるだけです。

そもそも、多くの人がプレゼンテーションで本来行おうとしているのは教えるということです。

うまく教えるためには、うまく説明されているか、論理的か、明確か、しっかりと質問できているか、何を教えているのかはっきりしているか、その根拠は何か、そして威張った権威ではなく信頼されるという意味での権威がそこにあるか、こうしたことが全て重要となります。しかし、階層的なスライド構成によるプレゼンテーションはこれとは全く逆を行くものなのです。

人々はパワーポイントのスライドに入っているよりも遥かに多くの情報を見ることも、読むことも、そして考えることもできるし、実際に普段行っているのです。にもかかわらず、パワーポイントによるプレゼンテーションによってあちこちのスライドに散らばった小さく細切れにされた情報を見せられているのです。

レポートを書く人は本物のレポートを書くべきです。読む人が真剣な人だと想定し、その人達に説明をするかのように書くべきです。パワーポイントのテンプレートを埋めていくようなスライド作りは怠け者の作業で、それは浅はかなものです。

もしパワーポイントを使う場面が唯一あるとすれば、高画質なイメージやビデオなど印刷した紙として配るよりもプロジェクターを使って映し出した方が効果的な場合です。

オーディエンスに配るために便利な紙のサイズは、A3サイズ(28 by 43 cm)の紙を半分に折ることで両面合わせて4ページ分としたものです。この1枚の紙には6万字ほど含むことができます。これは一般的なスライドの文字数にすると50枚から250枚となります。

最後に、パワーポイントは、講演者が何かそれらしい話をしているというフリをし、オーディエンスはそれをちゃんと聞いてるというフリをするためのものなのです。

本質的なもの、本当の思考といったものを台無しにするパワーポイントをみたとき、次のような質問を止めることができません。

「このミーティングはなぜ必要なのですか?」


あとがき

今から15年ほど前にニューヨークに住んでたとき、私は著者のエドワード・タフティ氏のデータの可視化に関する2日間のセミナーに参加したことがあります。会場では最初に、上記に紹介したエッセイで書かれているような文章が印刷された紙が配られ、その紙に沿った形で彼の講演は進みました。途中プロジェクターで移されるものは基本的にはチャートを含む画像が主だったのを覚えています。

多くの人にとって彼の意見は、特に初めて聞く人には少し原理原則的に聞こえ、躊躇してしまうかもしれません。にもかかわらず、アマゾンを含め今でも多くの個人そして企業が彼の意見を取り入れています。それは、彼がただアカデミックな世界でしか通じない机上の理論を振りかざしているわけではなく、あくまでも現実のビジネスの世界でも通じる本質を捉えているからだと思います。

誤解のないよう言っておくと、このエッセイのポイントは、プレゼンテーションが、またパワーポイント自体が駄目なのではなく、多くの人たちがパワーポイントなどのスライドを間違った使い方をしているということです。

何かを売ることが目的で、自分の明確なメッセージがあり、相手にもわかったような気にさせ、その場で購買を促したい、そういったマーケティング的なイベントなどで使うためには適していると思います。

しかし、データを分析した結果、または調査の結果などをを説明するさいには、その背景や仮説、因果関係などを含めた根拠を丁寧に説明する必要があります。そのためには箇条書きを基本とするパワーポイントなどのスライドは適したフォーマットでないということですね。

使いやすい、簡単にまとめられるから、といった安易な理由でパワーポイントが使われますが、このエッセイで主張されている通り、その行為自体が実は書いている人の思考を停止させることとなっているのです。そして、作り出されたスライドによるレポートは簡単に読めて、まとまってるように見えるかもしれないが、それは中身のないものとなってしまうのです。

この点は今のようなAI時代には特に重要な点だと思います。うまく要約したり、もっともらしく書き飾ったり、それなりのデザインできれいに見せたりというのは生成AIが得意とする分野です。それでは人間にしかできないことというのは何かというと、それこそまさに「思考」なのです。そしてこの「思考」を積極的にしないように促しているのがパワーポイントのようなスライドであり、箇条書きリストだということなのです。

全体主義による政府と監視社会の脅威を描いた「1984」の著者であるジョージ・オーウェルが、「Politics and the English Language (政治と英語)」というエッセイの中で以下のようなことを言っています。

私達の思考が馬鹿げているせいで英語は醜く不正確なものになってしまった。しかし、この英語のだらしない性質そのものが、私達が馬鹿げた思考をする助けとなっているのだ。

-- ジョージ・オーウェル (Politics and the English Language), 1946

この「英語」の部分を「パワポのスライド」または「箇条書きリスト」に変えてみると以下のようになります。

私達の思考が馬鹿げているせいで「パワポのスライド」は醜く不正確なものになってしまった。しかし、この「パワポのスライド」のだらしない性質そのものが、私達が馬鹿げた思考をする助けとなっているのだ。

自分に自信がなく、外れ者だからもうどうでもいいと思ってる人が毎日酒を飲み、その酒を飲むという行為自体によってさらに完全に外れ者になっていくという現象と同じで、自分の行為によって、事態がどんどん悪い方向に進み、悪い循環にはまっていくという現象です。

箇条書きリストだらけのパワポのスライド形式ではなく、思考を促す文章で書かれたドキュメントやノート形式を使ってレポートを普段から書くことを習慣にしたいものです。


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