「馬鹿」と思われることをよしとすると、そこに飛躍の世界が広がります。
というのも、何かを学ぶときは、自分が「馬鹿」であると思われることを恐れず、理解できるまで質問し続ける、または調べ続けることが重要だからです。
人間は自分が「馬鹿」または「無知」であることを受け入れた瞬間から、一気に学びのスピードが速くなります。私もそうですが、「わからない」、「理解できない」ということをそのままにせず、その場で「馬鹿」だと思われることもいとわずに理解できるまで質問し続けると、逆に「理解できている」はずの人たちよりももっと深いレベルで、実用的なレベルで理解できるようになることがよくあります。
逆に、「馬鹿」と思われたくないという気持ちが、「よく理解できていない」トピックをそのままにしてしまい、そのせいで、そのトピックの理解を前提にした次のトピックに移ったときに余計にわからなくなってしまい、ついにはわからないことだらけになってしまうのです。
リチャード・ファインマン(ノーベル賞受賞歴のある物理学者)、ニールス・ボーア(ノーベル賞受賞歴のある理論物理学者)のような世間では天才だと思われている人たちは、自分が「馬鹿」であることを恥じずに好奇心を持ち続け、質問し続け、たとえ難しいことでもわからないことを諦めずに理解しようとし続けたからこそ、後に歴史的にも大きな成果を上げることとなりました。
以下はリチャード・ファインマンの話です。
学校にいたときに機械製図の授業をとったことがあった。しかし、設計図を読むのが苦手だった。そこで彼らは設計図を広げて説明をし始めた、まるで私が天才だと想定して。
わたしはまったくわけがわからなかった。それどころか、その設計図にかかれてあるシンボルが何を意味しているかもわからなかった。
そこには何か私が窓だと思うそれらしいものがあった。正方形で十字になっているものがその真中にあり、それがあっちこっちにあるのだ。窓だと思ったが、そのはすがない。というのもいつもそれが端っこにあるわけではないからだ。それが何なのか質問したかった。 こういう状況に陥ったことはないだろうか。すぐに質問しなかったという状況だ。
その場で聞いていればよかったのだろうが、しかし彼らはさらにどんどんと話を進めていった。質問するのを躊躇しつづけてしまった。もし今質問すると、なんでもっと早く質問しなかったんだ、ここまでの説明に費やした時間が全く無駄だったではないか、と言われるだろう。
どうすればいいんだ?
わかった、それはバルブだ。
設計図の3ページ目の上にその不思議な十字が真中に書かれているものに指をのせ、「このバルブがつっかえたらどうなるのですか?」と聞いたが、おそらく彼らは「それはバルブではない、それは窓だ」と言われるだろうと思いながら。
すると一人がもうひとりを見て、「もしそのバルブがつっかえたら」と言いながら設計図を上に行ったり下に行ったりし、さらにもうひとりも上に行ったり下に行ったりし、2人の間で行ったり来たりのやり取りが始まり、最終的に二人はお互いを見合わせた後私の方を向き、まるで驚いた魚のように口を開き、「あなたの言うことは全く正しい」と言いました。
そこで、彼らはその設計図を巻き上げそこから出ていってしまいました。
そして、私をずっと追っかけ回していたズムウォルトは「あなたは天才だ、あなたは工場に行きよく観察し、次の日には彼らに対してビルディング90-207蒸発器C-21に問題があることを告げるなんて、あなたは天才だ。」と言うんです。「どうやったらそんな素晴らしいことができるのか、私に教えて下さい」と。
そこで私は「それがバルブなのかそうでないのかを見つけることです」と答えた。
また、彼にはこんなエピソードもあります。
私はたいていの場合何も理解できないんです、自分の心の中に具体的な例があって、それが動く様が見えない限りは。よく人には最初の頃、私はスローで、問題を理解していないと思われるんです。というのも私はたくさんの「馬鹿」な質問をするからです。
「カソード(外部回路へ電流が流れ出す電極)はプラスなのかマイナスなのか?陰イオンはこっちに向かうのか、それともあっちに向かうのか?」といった具合です。
しかし後になって、ある人がたくさんの数式を並べて説明しているとき、私は「ちょっと待ってくれ、そこに間違いがある、それが正しいわけがない!」と指摘することになりました。
その人は彼の数式を見直し、しばらくすると、思ったとおり彼はその間違いを見つけ、「どうしたらこの、最初は何も理解してなかったこの男が、この黒板の上にごった返してあるたくさんの数式の迷路の中から間違いを見つけ出すことができたんだ?」と不思議に思うことになるんです。
量子力学を確立することになったニールス・ボーアにもこんなエピソードがあります。
ニールス・ボーアと働いたことのない人に、彼がどういう人なのかを説明するのはほぼ不可能です。もっとも大きな特徴は彼の「思考と理解のスロー」さです。
ある晩、彼の生徒たちが夜遅くまで学校に残り、量子力学に関する最新の問題について議論していました。途中で図書館のテーブルで卓球していたところ、ボーアが現れ、すごく疲れていると不満を告げると、何かをしたいと言い出しました。彼が何かをしたいと言うときは、映画を見に行きたいということなんです。ボーアが見たい映画はいつも「The Gun Fight at the Lazy Gee Ranch」、「The Lone Ranger and a Sioux Girl」といった限られたものです。しかしボーアと映画をいっしょに見るのは大変です。彼は映画の話の展開についていくことができず、常に質問し続けるので、他の観客にとってはとてもうっとおしいものです。
「家畜を盗みに来たインディアンを撃ったカウボーイの妹は、家畜を所有していた人の義理の妹なのか」といった具体です。
彼のスローさはサイエンスに関するミーティングでも同じ具体です。
あるとき、ある若い物理学者が私達の大学を訪れ、量子力学の複雑な問題に関する彼の最近のある計算に関する素晴らしい講演をしてくれました。観客の誰もがその講義を明確に理解しました。ところがボーアには理解できなかったのです。
そこでみんなはボーアが理解できなかったシンプルな点をボーアに説明し始めるのですが、そのうちみんな何も理解できなくなってしまうころ、とても長い時間がたった後に、ボーアがようやく理解し始めるのです。しかし、その物理学者が提示した問題に対してボーアが理解したことは、その物理学者が意図したこととは全く異なることで、それはボーアの理解が正しく、その物理学者の理解は間違っていたということが判明したのです。
これは、ニールス・ボーアと一緒に働いたことのあるジョージ・ガムロウによるものです。
馬鹿であること、またはそう見られることを恐れると、そのことによっていろいろな間違いを犯すことになります。自分の間違いに気づくことが怖くなるので、自分が間違いを犯しているかもしれないということから意識を避けることになり、自分の仕事に関しても注意深く何度も確認しなくなります。さらに、他の人に間違いを見つけられ、笑われたり、馬鹿にされたりすることを恐れるので、他の人に意見を求めなくなり、さらに間違いを指摘されても無視したり、逆に怒り出したりすることになります。
あなたが自信を持って、自分は馬鹿だと受け入れることができれば、積極的に自分の間違いを探し、気づくようになり、他の人が見つけてくれた場合はそのことに感謝し、「さっさと間違いを見つけてくれてよかった!」と笑い飛ばすことができるようになるのです。
ここでもう一つリチャード・ファインマンのコメントを紹介します。
私は「疑い」と「不確実性」と「知らない」ということを受け入れて生きることに何の問題もあります。
間違ってるかもしれない答えを持ってるよりも、知らないと受け入れて生きる人生のほうがはるかに興味深いものだと思います。
「だいたいこうかな」というレベルの答えを持ち、可能性があるものとして信じるものがあり、さらに異なる様々なことに対して異なるレベルの確信を持っています。しかし、それすら完全に確信しているわけでもないし、まったくわかってないこともたくさんあるのです。
例えば、なぜ私たちはここにいるのかと質問することに意味があるのかどうかわからないし、そうした質問が何を意味するのかもわかりません。少しはそうしたことに考えを巡らせるかもしれないが、もしわからなければ、別のことを考えるだけで、答えを知らなくてはいけないとは思わないし、答えを知らないということに対して怯えることもありません。目的を持つことなしに不思議な宇宙で迷ってしまっても怯えることもないのです。
そもそも物事というのは私の知る限りそんなもので、そのことによって悩んだりすることはないんです。
私はデータサイエンス・ブートキャンプなどを通じて、データサイエンス、データ分析を教えさせていただく機会がありますが、相手に理解してもらえるように教えようと思うと、自分が理解していると思っていたことが実はしっかりと理解できていなかったということがよくあります。
そこで自分で調べたり、他の人に聞いたりすることになるのですが、そんなときに「そんな事も知らなかったの?」と言われたり、質問し続けると「めんどくさいなあ」と態度に表されたりすることもよくあります。
しかし、それでも諦めずに自分が自分の言葉で理解できるようになるまで聞き続け、調べ続けることで、今までよりもっと深いレベルで理解でき、そのおかげでよりシンプルに説明できるようになったという経験がたくさんあります。
自分がいかにわかってないかということを謙虚に受け入れ、さらに「馬鹿」だと思われることを恐れずに質問し続ける、というのは正直難しいことでもあります。それでも、長い目では最も効率的な学ぶ方法なのだと開き直り、自分が自分の言葉で理解できるまで質問し続け、調べ続けれるようになれば、道は開けるといつも自分に言い聞かせています。
みなさんも是非試してみてください!
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