意思決定のサイエンス

私が経営する会社Exploratoryはビジョンとして「より多くの人がデータを元により良い意思決定ができるようになる」を掲げ、そのために「データサイエンスを民主化する」ことをミッションにして毎日活動しています。

しかし、そもそも「意思決定」とは何なのでしょうか?

今日のお昼にカレーにするかラーメンにするか決めることが「意思決定」なのでしょうか。「データサイエンティストになる」と決めることは「意思決定」なのでしょうか。そのためにどのデータ分析に関するトレーニングやセミナーに参加するのがよいかを決めるのが「意思決定」なのでしょうか?

また、「意思決定」とは「選択」、「意思表示」、「意気込み」と同じことでしょうか、それとも何か違うのでしょうか?

私達は毎日「意思決定」をしているようですが、実はよく考えてみるとたいていのことは自分で「意思決定」しているというよりは、ただ流されていたりすることもよくあったりします。

「意思決定」とは当たり前で誰でも分かっているようでいて、実は誰もよく分かっていないかったりします。

そこで、今回は「意思決定」とは何か、そもそも何のために私達は「意思決定」をするのか、その上でどのようにしたらより良い意思決定が行えるようになるのか、という点に関して非常によくまとめられた「How to make better decisions」という記事があったのでこちらで翻訳というかたちで紹介したいと思います。

以下、訳。


何年も前に、私は冷水を使って人々の健康を改善するためにMorozko Forgeという会社を立ち上げました。その際にチーム内で、顧客を管理するためにどのソフトウェアプラットフォームを使おうかという議論になりました。

私は自分たちにとっての問題を解決するために最もふさわしいあるプラットフォームを推しました。しかし、開発チームのリーダーはそのプラットフォームを自分で使った経験がなかったため、自分がよく知っている別のプラットフォームを推しました。私達の抱える問題を解決するには劣るにも関わらずです。

そのうち議論が激しくなり、衝突が起き生産的でなくなっていきました。

そこで私は議題を変え、ある質問を投げかけました。

「意思決定は組織の中でどのようにされると思う?」

反応はなく、みんな黙ったままでした。

実はチームの誰もがよくわかっていなかったのです。主要なマネージャーのうちの1人が欠勤中だったので、誰に意志決定の権限があるのかもはっきりしない状況でもありました。

しかし、たとえそのマネージャーがいたとしても、私達の組織において意思決定をするための明確な仕組みを誰も説明することはできなかったでしょう。

ようやく一人が声を上げました。

「普段はまず議論をして、最後にスタン(マネージャー)が決めます。」

そこで私は答えました。

「スタンはここにいない。ということは、その意思決定プロセスは無くなってしまったということだけど、どうしようか?」

これに対する答えは早く、

「みんなの合意をとる!」と一人が言うと誰もが賛同しました。

そこで私は別の質問をしました。

「それでは、合意はどうやってできるのかな?」

合意の問題

はっきりとした意思決定プロセスがないとき、多くのアメリカの組織は「合意」で決めようとします。それはアメリカの持つ平等主義のせいなのかもしれません。もしくは、私達人間が持っている衝突や批判を避けようとする習性から来ているのかもしれません。

多くの場合、人々は「合意」の意味もわからずに「合意」という言葉に惹きつけられます。そして、もし「合意」を得ることができなかった場合、「多数決」に向かうことになります。

しかし、「合意」も「多数決」も意思決定のプロセスとしてはいい加減なものです。

なぜだかわかりますか?

それは、以下のような問題があるからです。

  • 時間がかかりすぎ、決定がいつ下されるのかはっきりしない。
  • 行われた意志決定に対する責任が明らかにされないため、その決定に対する責任を誰が負うのかはっきりしない。
  • 意思決定の質に対しての十分なフィードバックを得ることができない。
  • 何かを決定するための基準が、その場にいる人達の誰もが妥協できるレベルまで下がってしまう。
  • リスクを避けることばかりが重要視され、創造力やイノベーションといったものが育たなくなる。

意思決定を削除する官僚的システム

上記に紹介した会話があって以来、実はほとんどのアメリカ人の意思決定能力はかなり低いのではないか、と思うようになりました。ミーティングや議論の場でリーダーシップをとる人達はいつかマネージャーになりたいと望みます。しかし、実際には多くのマネージャーが難しい意思決定を下すことはありません。

というのも、典型的なアメリカの官僚的なシステムはマネージャーから意思決定する権限を奪うようにしっかりデザインされているのです。

官僚的システムでは、その中で働く人達が間違いを犯さないようにと、様々な決定に関するルールをその組織の中の人が思いつけば思いついただけ、次から次へと定義していきます。

官僚的システムではそれぞれの社員が意思決定するのではなく、彼らが従うためのルールを提供します。それは、社員が自ら実験して答えを見つけ出すのではなく、従うためのアルゴリズムのような複雑なルールを提供するということです。

こうした官僚的な制度には目的があります。それは意思決定の代わりになるということです。

こうした官僚的システムのメリットは効率性です。別のやり方はないかなどと考えたり、評価したりするために必要となる時間やエネルギーを削減できます。

しかしこうした官僚的システムが、意思決定に必要なスキルを練習したり改善したりするために必要な機会を提供することはほとんどありません。そこで、組織が想定していない状況に陥ったり、異常事態が発生したり、権限を持つ人が急にいなくなってしまったりすると、どうやって意思決定をすればよいのか誰にもわからなくなってしまうのです。そもそも、誰も普段から意思決定のスキルを練習したことがないわけですから。

そして、意思決定をしないということが、他の何よりも悪い状況を導いてしまうこともあるのです。

「意思決定をしない」という道に陥ってしまうのを防ぐためには、普段から意思決定をする練習をしなくてはいけません。

意思決定のトレーニング

何も決定しない、というループに落ちてしまうのを避けるには、意思決定をするためのトレーニングをする必要があります。

例えば、世界最大のヘッジファンドであるブリッジウォーターの創業者であるレイ・ダリオは彼の会社の意思決定プロセスを「PRINCIPLES(プリンシプルズ) 人生と仕事の原則」という本の中で説明しています。彼は、意思決定の質に対して責任を持ち、評価をする文化を作ることが重要だと言います。

彼はまた、間違いを犯すことは学ぶためにとても重要だと言います。というのも、そうした学びこそが将来の意思決定を改善するために必要となるからです。

アルゴリズムに代用できるような意志決定であれば、官僚的システムを作るのではなく、コンピューターのプログラムとして定義してしまえばいいとダリオは言います。その上で、コンピューターにはできないような意思決定は、それぞれの人に対する信頼度を重みにかけた上で議論し、合意に導くプロセスをブリッジウォーターでは採用しているとのことです。

なんだか複雑そうに聞こえるかもしれませんが、実際意思決定のプロセスとはそうやって意図的にデザインされていくものなのです。

もちろんあなたの組織が、ブリッジウォーターのようにやらなければいけないと言っているわけではありません。意思決定のプロセスとして参考になるモデルは他にもあるでしょう。ここで重要なのは、意思決定をするためには、まず最初に、あなたの組織では意思決定がどのように行われているのかを理解する必要があるということです。

意思決定とは何か?

人々は一日の間にたくさんの決定を行いますが、意思決定とは何なのかについて考えたり、説明したりできる人はほとんどいません。

試しに仕事場であなたの周りの人たちに聞いてみて下さい。おそらく、そのうちの何人かは、

「意思決定とは何かについて決めること。」

「いくつかの異なる選択肢の中から1つを選択すること。」

などと答えることでしょう。

たしかに、選択は意思決定のために必要なことではありますが、しかしそれは意思決定とは違うものです。

選択をするのは何らかの満足感、または何らかの不安からの開放といった感覚を与えてくれるかもしれません。しかし、それは意思決定ではないのです。というのも、それは何の危険や犠牲を負うことがないからです。

意思決定とは、後で取り戻すことができない何らかのリソース(資源、もの、時間、エネルギー、労力、お金、など)を投入すると決めることなのです。

もし私の姪が家族でディナーパーティーをしている最中に、

「私は女優としてのキャリアを追うためにニューヨークに引っ越すことに決めたの!」

と言ったとしても、それだけでは意思決定とは言えません。

もちろん、親戚の人たちは彼女に励ましの言葉をかけることでしょう。しかし、彼女がそうした機会を得るために必要なリソースをコミットするまでは、彼女のそうした宣言はまだファンタジーであって、意思決定ではないのです。

彼女のキャリアに対する願望を「想像」から「現実」のレベルに上げるには、彼女は後で引き返すことが難しくなる決定を下さなければいけません。

例えば、新しいアパートの契約にサインをして敷金を払うというのであれば、それは彼女の引っ越しの決定を強化することになるでしょう。ある女優の役のオーディションを受ける、というのであれば、それは時間、エネルギーを投入することへの決定であり、拒否されるリスクと立ち向かう意志でもあり、それは新しい冒険へ向けての意思決定を強くするものとなります。

彼女はディナーパーティーの場で自分の意志をみんなの前で発表しましたが、それ自体は特に努力を必要とするものでもなく、取り返すことのできないリソースを投入するという決定を下す必要もないものでした。それはただ何かをすでにやったかのような気がして、うれしくなってしまっているだけなのです。

実は、多くのビジネスではマネージャーと言われる人達がまさにこの彼女のような行動をします。彼らは自分たちの望みを語ることを楽しみ、変化を起こすのだとただ発表するだけで、特にリソースを投入する決定を下すことはありません。

そうした話をすることによって特に何かが解決されるわけではありません。ただ、その時だけに得られる何らかの満足感があるのみです。「こういうことをしたいんだ!」とみんなの前で発表することで、達成してないにも関わらずあたかも達成したかのような錯覚を脳に与えることになるのです。それを達成するために必要なリソースを投入することによるコスト、犠牲、リスクを負うことなく。

もう一度言います。

取り返すことのできないリソースを投入する決定をあなたが下すまでは、それは意思決定ではないのです。

あなたの組織では誰が意思決定できるのか

企業は大きくなるに連れて、もともとその企業を作った創業者や、ビジネスの創業期を支えた人たちからどんどんと離れていくものです。問題は、そうした最初にビジネスを作った人達は大抵の場合、良いアイデアとは何かを判断する優れた能力を持っているということです。そうでなければ、そもそもその企業が成功することはなかったでしょう。

ところが、その企業に途中から加わった人達には、そうした判断能力が備わっているとは限りません。

それでは、そうした創業者の人達はどうやって優れた判断力を培ったのでしょうか?

それは大抵の場合、上述のダリオが言っているように、間違いを犯し、そこから学んでいくなかでそうした能力を身に着けていったのです。

にもかかわらず、ビジネスが軌道に乗ると間違いに対する許容力が下がっていきます。そして、間違いの可能性を減らすために制度的な管理体制が芽を出してくるのです。こうした管理のことを私達は「官僚的」と呼び、この制度やプロセスを備えたシステムが、こうした管理体制を支え、さらに執行するようになっていくのです。

こうした間違いを最小限にするための官僚制度による問題は、意思決定能力を磨くために必要な間違いを犯すことを許されている人が、組織の中からいなくなってしまうということです。代わりに、組織内のみんなが、いかにルールを理解し従うかということばかり気にしてしまうことになります。

意思決定しないための官僚制度

官僚的な組織には、意思決定者はほぼいません。なぜなら、方針、プロセス、ルールと言ったものが「別のやり方」を拒むからです。

例えば、「No Rules 世界一「自由」な会社、NETFLIX」という本の中で、NetflixのCEOであるリード・ヘイスティングスは彼が若いときに働いていた会社で、1人の重役がその会社の出張ポリシーによって彼の12ドル(1500円ほど)のタクシーの経費が払われなかったことに対して怒っていたという話を紹介しています。

その経費が拒否されたのは、個人や会社による意思決定ではありません。その出張ポリシーが、経費に関する意思決定の責任をマネージャーから奪い取ってしまったのです。

もちろん、そうしたルールを組織の中の誰かが上書きすることを推奨するようなルールはありません。

ほとんどの官僚制度は組織内の人間が意思決定することを許しません。彼らは、承認によって行動するのみなのです。そして、その承認は上司であるマネージャーがリソースの使われ方が会社のポリシーに沿っているかを確認するためのレビューを行った上で下されるのです。こうした組織は最終的には「Head Office」という1985年の映画で皮肉られていたような企業文化を生み出すことになります。

https://www.youtube.com/watch?v=8bn5kAhipXQ

意思決定の権限

より良い意思決定を行っていけるようにするには、企業は組織の中の人達に意思決定を行う権利を与えなくてはいけません。彼らが実験し、間違いを犯し、フィードバックをもらい、そして自分たちの判断を改善していくことを勧めるような文化を育てていかなければいけません。

しかし、ほとんどの組織はどう始めればよいのかわかりません。

例えば、私が初めて国立サイエンス基金から奨学金をもらったときに最初に購入したものは電動鉛筆削り機でした。研究を行うために私が読んでいる論文や本に自分の気づきを直接書き込みたかったので、鉛筆削り機が欲しかったのです。しかし、そうした購入は認められていなかったので、承認のためのリクエストを出すことになったのですが、組織の中の4つの異なるレベルの承認プロセスが必要となりました。

こうしたいくつものレベルでのレビューを行うプロセスは、奨学金が間違った形で使われたり、不正が生じるのを防ぐために作られたもので、それはそれで合理的なものです。

しかし、奨学金を使うことになる全ての購入は、購買をする人であれば誰でも疑いをかけられ、まるで不正を行っているかのように扱われることになります。普通の大学の組織では誰も、「鉛筆削り機を購買するために20ドル使う」ことを決定する権限を与えられていないのです。私達には、購買のためのリクエストに対して一連のレビューと承認プロセスを開始するという権限しか与えられていないのです。

これとは対照的に、大学内のどんな人間であろうとミーティングを招集することはできます。ミーティングに参加する人達がミーティングに参加する「時間」に対して払われている給料の一部は、鉛筆削り機に比べればはるかに高いにもかかわらずです。

全てのリソースには領収書が付いてくるわけではないため、こうしたおかしなことが起きるのです。

あなたの組織の意思決定プロセスとは?

意思決定とは何か、組織の中の誰が意思決定する権利を持っているのかを整理できたのであれば、次はどうやって良い意思決定を行うかに関してガイダンスを与えることが重要になります。

例えば、「パラノイアだけが生き残る:インテルCEOからの教え」という本の中で、アンディ・グローブはインテルで様々な異なるプロダクトに対してどのようにリソースを割り振るかについてのプロセスを説明します。

それぞれの生産工場におけるマネージャーにはメモリーかマイクロ・プロセッサーに対してどのようにリソースを使うかを決める権限が与えられています。彼らの意思決定をガイドするために、価格、生産コスト、利潤などについての情報が与えられます。マネージャーたちには、入手可能なデータを元に、最も利潤の高いプロダクトの生産を最大限にするための意思決定をすることが求められています。

当時インテルのほとんどの人達が自分たちはメモリー・チップの会社で、マイクロ・プロセッサーはメモリービジネスの付属的なものだと思っていたとき、工場のマネージャーたちはマイクロ・プロセッサーの方がより利潤が高ことを示すデータを見ていました。

そこで彼らはより多くのリソースをマイクロ・プロセッサーに割り当て、メモリーにはその分少ないリソースを割り当てることにしました。というのも、彼らの意思決定プロセスはデータを集め、利益が最大になるように生産のためのリソースを割り当てるようにデザインされていたからです。

最終的に当時CEOのグローブ氏がメモリービジネスから撤退すると決めたとき、マネージャーたちはすでにそうした道へかじを切っていたのです。このことがインテル社の企業戦略の転換を加速させ、過当な価格競争に走るメモリー市場でビジネスを続けることによる損失を抑えることに役立ちました。

言い方を変えると、インテルは意思決定とは、取り返すことのできないリソースのコミットメントであるとすでに理解し、すでに生産マネージャーたちに意思決定の権限を与えていたのです。さらに、インテルのトップはマネージャーたちが意思決定に必要となるデータやガイダンスを十分に提供していたのです。会社がその存在を危うくするような危機的状況に陥ったとき、マネージャーたちは誰にも言われることもなくすでに生産のためのリソースを危機を解決する方向へ割り当てていたのでした。

私の会社の意思決定メソッド

私の会社では意思決定に関して重要な2つのステージがあります。

1つ目は、解決しようとする問題を認識し、定義することです。

2つ目は、たくさんのアイデアを共有し、「もしこれをやってみたらどうなる?(What if...?)」といったことを自由に議論します。

どの問題を解決しようとするのか、そしてなぜそれが重要なのか?

スティーブ・ジョブズが今から10年以上も前にiPhoneを発表したとき、彼はiPhoneが解決しようとする問題、さらに言うとモバイルユーザーにとって重要な問題をわかりやすく説明しました。スティーブ・ジョブズがAppleによる解決策を見せるまで、ほとんどの人達は自分が問題を抱えていることさえ気づいていなかったのです。

これこそが、「何の問題を解決しようとしているのか?」と聞くことに価値がある所以です。

ほとんどの人達は自分たちが思いついた解決策で頭がいっぱいになってしまい、そもそも何の問題を解決しようとしていたのかをすっかり忘れてしまいます。フォーカスを失ってしまうのです。彼らの努力が脇道にそれてしまい、結果として問題でもないことに対してたくさんの優れた解決策を提案することになってしまうのです。

少し前に1人の部下とこんなことがありました。

彼は問題を理解することなしに数時間ほど在庫管理に関する解決法を考え込んでいました。「私は何の問題を解決しようとしているのだろうか?」と自分自身に問いかけることなく、在庫に関する解決方法を調べ続けていたのです。

スタートアップでは、重要な問題を認識し、定義し、そして解決できるかどうかが生死を分けます。解決しようとしている問題が何なのかを追求することができなくなったとき、利益を生み出すことができるビジネスを構築するための道から踏み外してしまったことになるのです。

別の件ではある頭脳明晰で創造的な部下が、プロトタイプを作り終わったばかりの新しい熱交換器のデザインを私に見せようとやってきました。試行段階における最初の結果に喜び、その成果を私と共有しさらなる改善を行おうとしていたのです。

しかし私は途中でデモを遮り、「何の問題を解決しようとしているんだ?」と聞きました。

すると彼は、「いや、特に問題があるというわけではないんですが。」と答えたのです。

この時、私はブチ切れてしまいました。というのも、彼の持つ創造的なエネルギーが私達を間違った方向に導いてしまうことになりかねない状況に陥ってしまっていたからです。彼が問題を認識し、定義し、説明するための能力を素早く改善しなければ、大変なことになってしまうのです。

そこで、私は彼を叱りつけました。

「君が問題を持っていないなんてそれは残念なことだ。というのも君には、私達の顧客の生活をより良くするために解決しなくてはならない問題を認識し、定義し、そして解決まで導くことが求められていて、それができるかどうかに私達のスタートアップの将来がかかっているんだよ。私にはすでに解決しなくてはいけない問題が99個もある、ところが君ときたら、頭脳明晰でもっとも賢い仲間であるはずの君が、この会社が解決しなくてはいけない問題を1つも見つけることができないなんて、いったいそれはどういうことなんだ!」

彼は笑いました。

彼は自分の新しいソリューションに興奮するあまり肝心の問題から注意が逸れてしまっていたことを理解したのです。

「何の問題を解決しようとしているのか?」という問いかけは、ときに感情的で自己防衛的な反応を招きます。子供の時から私達は先生や親、権威を持った人達からこうして挑戦的な質問を受けると身構えてしまうように育ってきたからなのかもしれません。

何が問題なのか?

私達の多くは衝突や対峙することを避けるために「特に問題はありません。」と答えがちです。そして、まさにこれこそ私の部下がやってしまったことなのです。そして、こうした衝突を避けるための態度こそが、ほとんどの組織が重要な問題を認識し定義することができないでいる理由なのです。

上記の件では、彼は自信を取り戻し、

「問題は、私達の浴槽ユニットは暑い夏には温度を下げるために長い時間がかかるので、コンプレッサーが消耗しやすく、そして顧客はそのことに不満を持つことになります。」

とデモを再開しました。

そういう問題のためであれば、私は喜んで多くの忍耐力とクリエイティブなエネルギーを費やしたいと思います。

もしこれをやってみたらどうなる?(What if...?)

一度何が問題なのかを理解したら、次は解決策を考え出す時間です。最初はつまらない解決策でも構いません、そうしたアイデアの一つ一つがよりよいものに進化していくものなのです。

新しい解決法を考え出すためのブレインストーミングのときに私はいつも自分にこう言い聞かせます。

最初のアイデアが良かった試しはない。

「もしこれをやったらどうなる?」と問い始めることで、様々なアイデアによる効果や結果を思い描くことができるようになります。この時点では推測しているに過ぎません。私達は、もしこのアイデアを実行に移したら現実世界で何が起きるのだろう、どういう変化が起きるのだろうということに関しての思考実験をしているのです。

例えば、あるとき水漏れを起こしている浴槽ユニットがありました。よくある問題の解決方法や修理のためのマニュアルを見ても解決できないものでした。そこで、私達はいくつもの「もし〜をやったらどうなる?」という思考実験を行いました。

それはこんなかんじです。

「もしその浴槽を廃止にして新しいのを作ったらどうなる?」

もしこの浴槽を廃止にして新しいものを始めたら、これ以上何時間もこの問題について頭を悩ませなくて済むし、新しい浴槽をより速く生産できるようになる。しかし、それは$110ほど追加のコストが発生することになり、さらにはそもそも何がその問題の原因であるのかについて学ばずに済んでしまうので、将来そうした問題が起きることを防ぐことができない。

それでは、もし内側から全ての継ぎ目を溶接し塞いでしまえばどうだろうか?塞ぎ、再テストを行うために追加の1時間ほどかかるが、それがこれからの新しい修理の方法として確立されるかもしれないし、追加で$110ほどのコストを掛けなくて済むようになる。

もし、耐摩耗性に優れるアルミ素材を使って全ての継ぎ目を内側から塞いだらどうなるか?

塞ぐ作業自体に数時間かかり、その後にさらにテストする必要がある。しかし、新しく頼りがいのある修理の方法が見つかることになるかもしれない。さらに追加で$110ほどのコストを掛けなくて済むようになる。

結局、私達は「溶接して塞ぐ」方法と「ニトリルゴムを使って塞ぐ」方法を別々に実験することにしました。結果として、「溶接して塞ぐ」方法がより速く、より安く、さらによりうまく機能することとなりました。

「What if?(もし〜をやったらどうなる?」と聞くことで重要な点は、問題を解決するために十分な数の解決策を思いつくことです。そうすれば、そのうちの少なくとも1つは実際に問題を解決するのに使えるものであることが多いからです。

解決策がいいかどうかを判断するのではなく、それによって何が起きるのか説明することによってのみ、その解決策によって世界がどう変わるのかを理解できるようになるのです。

「What if?(もし〜をやったらどうなる?」というプロセスを導入してから数年経って分かったのは、私達が犯す問題の多くは、質問を命令だと間違って解釈してしまうことによるものだということです。つまり、問題を解決するために本来であれば必要なプロセスに十分な時間をかけることができていなかったのです。

あなたが部下に「What if...?(もし〜をやったらどうなる?」と聞いたとき、彼らが「了解です、今からやります。」と答えたのであれば、それは彼らが自分たちを意思決定のプロセスから取り除いたということなのです。そしてそのことによって、数多くのクオリティの悪い意思決定が生み出されることになるのです。

様々な解決策のクオリティを評価するための基準とは?

様々なやり方によって何が起きうるのかを説明することができたら、次はどの解決策を最初に実験するのかを決めることが重要となります。

そこで、以下に挙げる一連の質問をこの順番に沿って投げかけていくことになります。

この実験によって新しい知識が生み出されるのだろうか。(何が学べるのだろうか。)

私達のスタートアップにとって現時点では知識こそが私達の持つ最も重要な資源です。それは技術に関する知識かもしれませんし、顧客の好みや価値感といったマーケットに関する知識かもしれません。または、私達の会社の成長に貢献するであろうそれぞれのメンバーの強みなどに関する知識かもしれません。

もしその実験が新しい知識を生み出すというのであれば、そこにこそ自分たちのリソースを優先的に振り向けるべきでしょう。

この実験は顧客のためになるのだろうか?

健康と幸福を目指す私達の会社の存在価値とは、顧客が自分で自分の健康をより良くするためのお手伝いができるということです。顧客にとって何らかの犠牲が生じるような形になるような解決策を実験することは私達のミッションにとって逆行することになります。

もちろん顧客のために私達が全てを行うというわけではありません。というのも顧客を思いやるというのは、顧客が自分たちのために自らできるようになることを私達が手助けするということでもあるからです。

ときには、顧客を思いやるということと顧客のためにやるということの区別が難しい時もあります。それにも関わらず、この質問は私達が提案する解決策が私達の顧客にどのような影響を与えるかをしっかりと考える助けとなります。

「ビジネスの目的は顧客を作ることである。」

ピーター・ドラッカー

この実験は私達の仲間にとっていいものなのか?

顧客のために仕事をするためには、自分たちがベストの状態でなければいけません。

自分たちのことをほったらかしにしたままで、私達が顧客を思いやることなどできません。私達の健康や幸せが犠牲になるような解決策は、私達の顧客が必要とする知識や製品を提供するための私達の能力が削がれることとなってしまいます。結果としてマーケットにおける私達の信用を失ってしまうことにもなるのです。

この実験は私達が住みたいと思うような世界を描くビジョンと合っているのか?

この質問に答えるには、自分たちの会社のビジョンやこの世界に起こしたい変革と言ったものが明確になっている必要があります。

私達が「この実験は自分たちのビジョンに合うのか」と質問するとき、私達のビジョン、そして私達が行おうとする実験との関係を明らかにすることを追求しているのです。

もちろん、ときには実験を始めるまでこの質問に対する答えはわからないこともあるでしょう。しかし、この質問をすることで、行おうとしている実験が自分たちが求める将来に自分たちを近づけてくれるわけではないことが明らかになることもあるのです。そして、その場合そうした実験はさっさと止めるべきなのです。

この実験は消費される以上の資源を生み出すことになるのか?

この最後の質問は、いわゆるMBAプログラムが「リターン・オン・インベストメント(投資収益率)」と呼ぶものですが、これは何もファイナンスだけという狭い視野で考えるべきものではありません。

もちろんお金は会社の健全さという点では重要ですが、スタートアップの初期の頃はクリエイティブなエネルギーこそもっとも重要なものです。

そこで、この質問はエネルギー、時間、そしてお金といったリソースを注ぎ込むことに対するリターンを評価するために重要となるのです。より多くのエネルギー、より多くの時間、より多くのお金を作り出すものに私達のリソースを費やすことができれば、私達のビジネスは成長することになるでしょう。

全ての意思決定は実験である

これまでに、取り戻すことができないリソースを投下する決定をしてこそ意思決定だと話してきました。もちろん、後で決定を変えることができないと言ってるわけではありません。

私が言いたいのは、ある意思決定によってすでに費やされたリソースは後から取り戻すことはできないということです。

すでに行われた意思決定を軌道修正するために、追加のリソースを必要とする新しい意思決定が必要となるかもしれません。しかしそれは、たとえ高いコストが発生するものとなったとしても下さなくてはいけない意思決定なのです。

全ての意思決定は実験であるという考え方は、私達に間違える自由を与えてくれます。後悔することをビクビクしながら心配するのではなく。

「Designing Your Life」という本の中で、著者のビル・バーネットとデイブ・エバンズは読者に、コミットメント(実行、約束)を実験だと思いなさいといいます。そうすることで新しいことに挑戦し、そこから学び、そしてまた挑戦することができるようになるのです。

新しいことを始めるときはたいてい最初は間違っているものです。しかし多くの人たちにとって、自分が間違ってしまうことで恥ずかしい思いをすることを想像するのは耐えられません。そこで、継続的に学んでいくために必要な実験を始めることができなくなってしまうのです。

結果として、これまでやってきた古いやり方、古い習慣、さらには過去にうまくいってないことがすでにわかっているやり方をいつまでも繰り返すことになってしまうのです。彼らは自分が失敗してしまったとき、その責任を負わなければならないという懸念から、自分をどう守るかということばかりに自分のエネルギーを使ってしまうことになるのです。

正しくなければいけないと心配するのを止めましょう。その代わりに成功するためには何をするべきなのかを考えることに集中するべきです。

私の会社では、全ての意思決定は実験であるとよく話します。このことによってみんなは、自分が正しくなければならないとする自尊心を守るために必要な時間や精神的なストレスから開放されるのです。

間違っているかもしれないと予見することによる不安を解消します。そうした不安をしっかりと管理することこそ、私達スタートアップの成長には欠かせないことなのです。

「答え」としてではなく「実験」として考えることで、私達にとって最も重要な意思決定に関する質問、「この実験は新しい知識を生み出すのだろうか?」という質問に私達の努力を最大限振り向けることができるようになるのです。

最後に、私達の組織が意思決定を行うステップを簡単にまとめるとすると以下のようになります。

  • 意思決定の権利を割り当てる。
  • 意思決定のプロセスを明確にする。
  • いくつかの解決策を考え、評価する際の基準を設ける。
  • 実験を行う。

あなたの組織にとっても、こうした意思決定のやり方をぜひ取り入れてみるのはいかがでしょうか?


要約、終わり。

「意思決定」とは多くの人にとって実は分かっているようでよく分かっていなかったりするものです。私たちは毎日たくさん「意思決定」をしていると思いこんでいますが、実はよく考えるとそれぞれの意思決定は「意思決定」と呼べるようなものでなかった、ということも多いのではないでしょうか。

特に仕事などでは、その組織が官僚的になっていれば、それは個人が意思決定をしないようにデザインされているわけですから、個人による意思決定と呼べるものはほとんどないのかもしれません。

もちろんうまくいっているときはそれでも良いのかもしれませんし、さらにその方が効率が良かったりするのかもしれません。しかし何か異変が起きたとき、または今までとは状況が変わってしまったとき、「意思決定をしない」というやり方ではそうした新しい状況にうまく対応できなくなってしまいます。

問題は、こうした新しい状況や新しい問題に直面したときになって急に個人や組織が「意思決定」できるよう変えようとしても、そもそも個人にも組織にもこれまでそのような経験がないわけですから、そう簡単に変わるはずありません。

ビジネスの世界は絶えず状況が刻一刻変わりつつありますが、特にここ最近はコロナやデジタル化、AIや自動化によってビジネスだけでなく社会そのものもダイナミックに大きく変わりつつあります。

そのようなときには、本文の中のインテル社の例にあったように現場にいる一人ひとりが自分の周りの状況を注意深く観察し、変化を読み取り、問題を深く理解することに努め、さらに問題を解決するための様々な解決策を自由にそして柔軟に議論し、周りの人たちに丁寧に伝えていくことが求められます。

残念ながら、自分のいる組織がそういう仕組みを作ってくれるのを待っていても、なにも変わりません。重要なのは普段から周りに流されず、自分にとって、自分の家族や周りにいる人達にとって、自分のビジネスや関わる組織にとってより良い意思決定とは何なのかを問い続け、実践していく習慣を作ることではないか、と思います。

そのためにも、この記事がみなさんにとって「意思決定」とは何なのかを整理する一つのヒントになったのであれば幸いです。

以上。


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