73,000人の命を一瞬で葬った8月9日に落とされた長崎への原爆投下後のマッシュルーム雲

勝者に何が道徳か定義させるな - 広島はいつも無防備だった

  • Don't let the victors define morality – Hiroshima was always indefensible - リンク

by Kenan Malik (インド生まれのイギリスのジャーナリスト、作家、講演家)

歴史は勝者によって書かれるというのは、世の必然ではあります。日本でも「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるほどです。

しかし、そのことによって私達人類の持つ普遍的な道徳観が変わることはないはずです。

今から80年近く前の戦争中、アメリカが広島と長崎に原子爆弾を落としたことは、どんな状況があったとしても、それは正当化できることではありません。

この時期、毎年8月になるとアメリカは原子爆弾の使用は「しょうがなかった」というプロパガンダを流します。ほんとうに「しょうがなかった」からなのでしょうか。

今回は、Kenan Malikというジャーナリストの方がイギリスのGuardianという新聞に3年前に寄せたエッセイをみなさんに紹介したいと思います。

以下、訳。


1945年、広島と長崎を2つの原子爆弾によって抹消した後にカーチス・ルメイは言いました。

「もし私達が戦争に負ければ、私達はみんな戦争犯罪人として裁かれることになる。」(リンク

ルメイは、第二次大戦末期、(東京大空襲、その他の日本の数多くの大都市、中都市に対する焦土作戦を指揮し、さらに)日本に対する2つの原子爆弾の投下を指揮したアメリカの空軍司令官です。彼は原子爆弾の使用を信じていました。勝利のためにはどんな行為も許されると思っていました。その後20年がたち、ベトナムに対してアメリカは「ベトナムを石器時代に戻してやる」と主張しました。


訳者注:

ちなみに当時、東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払うだけでなく、富山市・郡山市などの地方の中小都市も焼き払った焦土作戦を指揮したルメイは、日本人にとっては「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」として知られる。


しかし彼は、広島と長崎を灰にしたことが戦争犯罪でないというのは、アメリカが戦争に勝ったからというだけの理由だということを認めるほど正直な男だったということです。

世界で際の原子爆弾による攻撃が行われてからすでに75年以上が経っていますが、「ヒロシマ」が私達人類の存在を脅かす恐怖を表す言葉にはなりましたが、原爆投下に関する道徳的な話はどこか見えないところに消えてしまいました。

今から75年以上も前にこうした言葉を残したのはルメイだけではありません。

「私達は暗黒時代の野蛮人のレベルの倫理基準を採用してしまったのだ。」

とはルーズベルト、トルーマン両大統領に仕えたウィリアム・リーヒ陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長が「I Was There」という自伝の中に書いた言葉です。

ドワイト・アイゼンハワーも、原爆投下の道徳的見地に対して「重大な懸念」を「The White House Years」という回顧録の中に残しています。(リンク

  • アイクとリーヒーが正しかった:広島と長崎への原爆投下は間違いだった - リンク

爆弾が投下されるやいなや、この正当化できないものを正当化する試みが始まりました。8月9日、長崎に原子爆弾が投下された日、アメリカ大統領トルーマンは国民に向かって「最初の原子爆弾は広島の軍事基地に落とされた、なぜなら私達は市民の殺戮を避けたかったからだ」と発表しました。(リンク

実際には当時広島に住んでいた30万人のうち40%に上る人たちが殺されました。そしてそれは多くの場合もっともグロテスクな醜い形で起きたのです。

トルーマンを含め多くの人達はその原爆投下がなければ、何十万人、もしかすると何百万人のアメリカ軍の戦士が日本侵略のさいに殺されることになっていただろうと主張しました。こうした犠牲者の数がどれだけだったかというのは、ただの推定、もしくは空想の域をでなかったにも関わらずです。

しかし、連合軍のリーダーたちは広島や長崎に原爆投下することが必要だと言う理由を見つけることができませんでした。チェスター・ニミッツ・アメリカ太平洋艦隊司令長官は「そうした原爆の投下は日本に対する戦争に対して意味のある助けには全くならない」と主張しました。(リンク

アイゼンハワー将軍も賛同します。「そうした原爆の投下は全く必要なく、アメリカ人の命を守るための方法として求められてもいない」と言いました。(リンク

南西太平洋の最高司令官であったダグラス・マッカーサーは「原爆の投下に対する軍事的な正当性はなかった」と発言しています。(リンク

アメリカ政府のアメリカ空爆調査団(the US Bombing Survey)は1946年に「原子爆弾が落とされてなかったとしても日本は降伏しただろう」と結論づけています。(リンク


訳者注:

上記のルメイも、終戦後9月20日の記者会見で、「戦争はソ連の参戦が無くても、原爆が無くても2週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は戦争終結とは何ら関係ありません。」と答えています。


さかのぼること1943年にはすでにアメリカは日本人に対して原子爆弾を使うこと準備をしていたという証拠があります。原子爆弾の開発プロジェクトであるマンハッタン・プロジェクトのディレクターであったレスリー・グローブ将軍の言葉によると、

「そのターゲットはいつも日本が想定されていた。」(リンク

とのこと。

そうした態度は、連合国が彼らのヨーロッパの敵とアジアの敵に対する見方が違っていたからなのかもしれません。ドイツは残忍で野蛮だと思われていました。しかし、彼らがヨーロッパ人で白人だったという事実によってその偏見にはある程度の抑えがありました。しかし、日本人は非白人だったことで特に軽蔑されていました。

歴史学者のジョン・ドウアーは彼の「慈悲のない戦争」という本の中で太平洋戦争は特に残忍でした、というのも両側ともこの衝突を人種戦争と見ていて、それは人種的な誇り、放漫さ、怒りという燃料によって焚き付けられていました。

原子爆弾の投下に対して道徳的な意味を質問することは非国民的だと言われます。

当時は、西側の外交官が日本人を「サル」や「黄色いちびの奴隷」と呼ぶことはよくあることでした。(リンク

アメリカ元海兵隊のアンドリュー・ルーニーは、アメリカ軍が「人間を殺しているというよりは、汚い動物を消し去っていると思っていた」と当時を回顧しています。(リンク

トルーマン大統領は「獣に対処するには獣のように扱わなければいけない」と書き留めていたのです。(リンク

アメリカの第5空軍のインテリジェンス・オフィサーであったハリー・カニンガム大佐は、

「日本の人口すべてが正しい軍事的なターゲットであった」

「日本には市民というものは存在しない」

と書いていました。(リンク

日本の数多くの都市を火の海にするために綿密に計画された爆撃は35万人もの市民を殺したとされています。こうした背景を考慮すると、広島と長崎への原爆投下がなぜ起きたのかもっと説明ができるようになります。

日本人も悪質で、残酷で、人種差別的でした。しかし日本人のそうした態度と残虐行為は世に広く知られているのに対して、連合国のそうした態度と残虐行為は忘れられてしまっています。なぜなら、彼らが「いい奴ら(Good guys)」だからです。

そのせいで、原子爆弾の投下に対する道徳的な意味を質問すると、非国民だと言われるのです。

25年前にワシントン国立空軍スペース博物館が第二次大戦50周年記念イベントを計画していたとき、原爆投下を歴史的背景を反映させた上で展示しようとしたところ、政治家や退役軍人からの強い非難に直面しました。結局、その展示のディレクターであるマーティン・ハーウィットは辞任に追い込まれ、その展示はゼロからのやり直しとなりました。

彼はその後

「その原子爆弾の使用に対してどのような疑問を投げかけることも、この感情的な環境の中では、アメリカの敵だとされてしまうのだ。」

と回顧しています。(リンク

BLMのプロテストが奴隷制や帝国主義の過去を人々に思い起こさせているにも関わらず、広島と長崎については歴史的記憶喪失が起きているかのようであるのは不思議でなりません。今日を生きる私達は、原爆投下がいかに非人道的で道徳的に弁解の余地がないことなのかということを、当時戦争を推進していた軍人たちに比べてさえも、さらに気づいてないようなのです。

第二次大戦下でルメイのアシスタントであった元アメリカ防衛大臣であるロバート・マクナマラは、「The Fog of War」という2003年に公開されたドキュメンタリーの中で戦争犯罪の質問に対して考慮する際、

「ルメイはもし彼の側が敗けたら、彼が行っていたことは不道徳になることに気づいていました。しかし、もし敗けたら不道徳にし、もし勝ったら不道徳でないとさせるものとは、いった何なのか?」

これはただの歴史的な質問ではありません。それは今日にも考えるべき質問であり、広島と長崎の破壊に関する質問であるのと同時に、今日の戦争についても考えるべき質問なのです。

歴史は勝者によって書かれるのかもしれません。しかし、道徳規範というのは勝者によってのみ定義されるべきではないのです。


あとがき

原子爆弾を人類に対して初めて、そして2度も落とすという人類史上最大の戦争犯罪を犯した国であるアメリカに住むアメリカ人にとって、この暗い事実は非常に複雑な気持ちを呼び起こすものです。「正義の戦争」だと固く信じているものが、実は自国が「悪魔の戦争」に手を染めていたわけですから。

そこで、アメリカでは「日本上陸作戦によって犠牲になる何百万にものアメリカ人の兵士の命を救うためにはしょうがなかった。」という言い訳を公的な声明として、戦後以来ずっと、今でも特に8月の原爆記念日が近づくと流し続けます。

最近は「オッペンハイマー」という原子爆弾の父と呼ばれる人に関する映画がアメリカではヒットしていますが、この映画のメッセージも同じです。多くの命を救い、戦争終結を早めるためには、原子爆弾を2つの都市に落とし、何十万にも上る無実の市民、男、女、子供の命を一瞬にして奪い去り、その後も何百万にも上る人たちが苦しみ続けるのは、「しょうがなかった」ということです。

しかし、その同じアメリカには、「しょうがなかった」という政府の物語に疑問を持ち始める人たちもいます。特に、差し迫った「大量破壊兵器」の脅威を取り除くためにイラクを侵略し、かたっぱしから爆撃し、無実の一般市民の多くを殺した挙げく、その肝心の「大量破壊兵器」が見つからなかったあたりから、多くのアメリカ市民は政府の物語、それをプロパガンダとして拡散するメディアに疑問を持ち始めているのです。

ところで、それよりも問題なのは、実は私達日本人が戦後教育によってこの記事の本文にあるようなことを知らない、ということです。原子爆弾や焦土作戦においては被害者である肝心の私達日本人が、「しょうがなかった」説を学校で教えられるがままに受け入れてしまっているため、アメリカはもちろん世界でも「しょうがなかった」説が受け入れられ続けるのです。

私は、どこかの国のように、過去の悲惨な出来事を持ち出して、特定の国の人達を憎んだり、一般市民の人たちに謝罪を求めろという気持ちはありません。しかし、実際に過去に起きたことを事実として、人々の気持ちの中に記録していかなくては、私達は人類として、この悲惨な出来事から学ぶべきものを失ってしまいます。

現在のように、アメリカやロシアのトップや高官レベルの人達が核兵器の使用を匂わす発言をしているとき、私達日本人は、その恐怖だけでなく、その使用はどんな状況であったとしても正当化できない、人道的な犯罪であるということを、正しい歴史的背景と事実を元に世界に伝えていく必要があるのではないでしょうか。

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